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エホバの証人ファーストで、運動会に来なかった母


運動会のお楽しみ『お弁当』ですが、今はいろいろな家庭の事情があるからなのか、
教室で食べる学校も多くなりましたよね。
子供が通う学校も給食だし、教室でクラスメイトと食べます。

私の子供時代もそのスタイルなら
良かったのですが、残念ながら
校庭で、レジャーシートを敷いて家族で
お弁当を食べるスタイルでした。

父は学校に来たことが一度もないので、
論外として今日は母のことをお話ししたいと
思います。

秋に運動会があったけど、
その時期と、エホバの証人の「大会」という、
どこか遠くの場所まで出向いて、
一日中長ったらしい話を聞くイベントと
だいたい重なって、低学年の頃は
運動会を休んで連れて行かれてたのですが、
3年生位からは、私も兄も運動会を休むのを
嫌がったので、大会に行かされるのは免れたけど、
母はエホバの証人の一大イベントである
『大会』を優先した。

「お兄ちゃん、トト、◯◯さんにあんた達のことお願いしておいたからお昼になったら、
シート探して一緒にお昼食べなさい」と

仲良くもない近所の人のシートに座らせて
もらい、母が置いて行ったお弁当を兄と
食べた。近所の人も優しくはしてくれてたけど、
気まずかっただろうなと申し訳ない気持ちになって、とにかく休憩時間が早く終わるのを待った。

「トトのお母さんは来てないの?あれ、お母さんじゃないよね?」と友達に聞かれて
「うん、ちょっと用事があって…」
「ふーーーーん」というやりとりが苦痛だった。

『子供の運動会より大事な用事ってなんなんだよ』
と母に問いたい。

小学生の子供が運動会で頑張るのって、
『親に見せたいから』なのだと思っている。

「息子は恥ずかしがり屋だったのもあって、
そこまで当日何をやるとか、立ち位置はどこだとかは教えてくれなかったけど、帰ってからは、
必ずどこにいたのか確認してきた。

娘はプログラムを広げて、徒競走は何番の何コースを走るとか、ダンスなら立ち位置も移動する場所も全部色ペンで書いてくれた。

当日も娘は私たちがちゃんと観てるか何度も
確認し、手を振り
競技も頑張っていた。
帰ってからは、どこが感動した。
◯◯君が転んじゃって泣いてたねとか、
一緒に見届けた話を共有してたくさん
お喋りした。

私は子供から『来ないで』と言われても
観に行く。市原悦子ばりに柱の影に隠れてでも
私が観たいのだ。
実際に息子が中学生の時に「観に来ないで」と
言われた部活の大会もこっそり見つからないように観に行った。

子供が頑張っている姿は、
骨が折れていたって、入院してたとしても
抜け出してでも行きたい。

この目に焼き付けたいのだ!

なのに、母は来なかった。
愛されてなかったとは思わないけど、
いつも『最優先じゃなかった』
寂しかったな。

私は子供より大切なものはないと言い切れる。
母は必死に育ててくれたとは思うけど、
『神様ファースト』過ぎて、いつも
納得がいかない。

母に孫が出来て『ばあば』になっても
それは変わらなかった。
旅行に誘っても、仕事が休めないからと断ってきたけど、その少し後にあった3日間の「夏の大会」の為には
仕事を休んで参加していた。

息子や娘の行事を観に来ないかと誘っても、
「集会」と重なる時は絶対に来なかった。

私は大人になってまで、モヤモヤしたくなかったし傷つきたくなかったから、もう誘わなくなった。
諦めのプロになった。

でも子供の成長を全部見届けられた私の方が
幸せだぞと、心の中でマウントしてみた。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。












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