【小説】七夕の夜、二人きりで。
墨汁を空間全体にばらまいたような暗闇の中で、まばゆいばかりの光を放つ線香花火。
蕾のようにプックリと丸まった火球から、火花が飛び散る。昔の人は、段階ごとにその火花の散り方の形状から、牡丹・松葉・散り菊と名付けたらしい。
わたしたち二人の心の中にも、パチパチと火花が飛び散っているよね。情熱の炎が。
結婚した当初から、年に1回だけ、二人だけの時間を作ってきた。普段は家族の一員だけど、この時だけは恋人に戻ることができる。
子供が小さい頃は、子供たちが、バァバのおうちにお泊りできるとはしゃいでたよね。
そんな子供たちももはや社会人として旅立ってしまった。今ではわたしたちのことを冷やかすほど成長してしまっている。
今年の旅行は七夕の日。ちょうど七夕が日曜日に重なったこの週末は、どれだけのカップルがしっとりとした時間を過ごすのだろうか。
蛍を見たいと言ったわたしの要望で、今年の旅行は、山中にあるコテージに宿泊することにした。
以前、家族みんなで旅行に来た土地でもある。
あれから十数年。
月日の経つことのなんと早いことか。
なれない浴衣によろける娘。
ズッテンと頭から転倒したけど、ニコニコ笑ってた。
たくましいコだね、キミは。
でも、最近は蛍も激減したらしく、河原にはそれらしい光は一つも見られない。
「蛍いないのかな。まったく光が見えないね。まえ来た時にはいっぱいいたんだけとね。」
「蛍は環境の変化に弱いからね。この辺も随分と開発されちゃったからな。確かに資本主義は、世の中を便利にはしてくれたけど、その分失われたものも多いよな。日本人は本来自然とともに生きて来たはずなんだけど。」
しゃがみこんだ浴衣の裾からスースーと冷たい風が入りこんでくる。昔からわたしは、浴衣を着る時には上下ともに下着をつけない。本来着物とはそういうものなんだけど、最近は和服用の下着も作られている。
それでもわたしは下着をつけない。
なぜって、そっちの方が“あの人”に喜んでもらえるから♥♥♥
“あの人”が使用済みの花火が入ったバケツを持ちながら、ゆっくりと立ち上がった。もう、すっかり初老って感じだな。わたしもだけど。
二人きりで歩く河原沿いの道。
空一面に広がる星空。
都会の喧騒を離れ、どこかしら懐かしい感覚さえ惹起させてくれる空間。
わたしたちって幸せだよね。
きっと、神様からの贈り物なんだよ。
あまりにも幸せすぎて、なんだかコワい。
周りにいるすべての人に感謝しないといけないよね。
「ねぇ、あそこに光ってるのがアルタイルだよね。そしたら、その上に光ってるのがベガかなぁ。彦星と織姫、今年も二人きりの時間を過ごしてるんでしょうね。」
空を見上げながら、人差し指を天に向ける。
「確か、ベガとアルタイルの距離は8光年だから、1光年を9.5兆kmと暫定して、9.5✕8で、ざっと76兆kmくらいあるのかな。近いようで遠いな。」
「何それ。ロマンのかけらもないじゃない。そうじゃないでしょう。あれは、農夫と織女の禁断の恋を指してるのよ。昔は、労働者には人権がなかったから、恋愛なんかできなかったんだけど、ご主人さまの計らいで、年に1回だけ会えるようにしたのがもとのお話しよ。まるでわたしたちみたいじゃない?」
「いつも顔合わせてるけどな。」
「何それ。そうじゃなくて、子供たちを置いて、年に1回二人きりで毎年旅行に来てたでしょう。だから彦星と織姫みたいだって言ってるの!」
「くされ縁だよ。くされ縁!何となく一緒にいるだけなんだけどなぁ。」
「もう、ヒドい!何それ!」
ポンっと“あの人”の背中をたたいた。
「もう。怒ったわよ!今日は別々に寝るから。あなたはソファで寝てね!」
「ハハハッ。そう怒るなって。相変わらず怒った顔もカワイイな!よしよし。今夜もたっぷりと…」
「バカじゃないの!そればっかり!セクハラオヤジ!」
ギュッと“あの人”のほっぺをつねる。
その時、ふっと“あの人”が立ち止まり、花火が入っているバケツを地べたに置いた。
ほっぺをつねっていた手をつかみとり、耳元でこうささやいた。
「暴れん坊な織姫だ。おしおきしないといけないな。」
わたしの肩を抱きしめ、“あの人”の唇がわたしの顔に近づいてくる。
全身から力が抜け“あの人”のなすがままになるわたし。
まるで、大きなシャボン玉の中にすっぽりと二人で入り込んだ感じ。
「ダメ!人に見られる…」
「いいじゃんか。人に見られるくらい。今日は年に1回だけ彦星と織姫が出会う日なんだろう。」
一旦離れた唇が、再びわたしの存在を包みこんできた。
大きなシャボン玉が、フワフワと宙に浮かび上がる。
このまま二人で天の川を渡れるかもしれない。
大好きだよ♥
死ぬまでずっと一緒にいようね。
現代語訳
七夕祭りで織姫にお供えした糸を伸ばしたように、長い年月にわたる恋になるのだろうか
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