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何があれば幸せなんだろう?

私自身が決して不幸なわけではない。
いい人生だったと胸を張って言える人生だ。
自分で選択し歩んできた人生だが、人生の分かれ道があったとしたら(あったかどうかは分からないが…)私ちゃんと正解選んでるやん(笑)と思う。

しかしながら人間は無いものねだりをする生き物でして・・・・・
お金が無ければお金を欲しがり、健康が無ければ健康を求める。

今の私だ。健康が欲しい・・・・・というか、もしかしたら私病気なんかじゃないんじゃね?とか想像したりしてる(笑)
私の肺は、まだそれほど病の進行を見せていないので酸素いらずで普通に生活出来ている。まぁ朝は寝起きが苦しいので、目覚めても30分程ベッドでゴロゴロしているが、ゆっくりしてたらそのうち治まる。

姉と久しぶりに話した事を前々回書いたが、その際に私の病の事も話した。
IPFは診断後おおよそ5年だという事も話し、私は残り約3年だと言うと、
姉曰く「でもさ、アンタは若いんやで他の臓器が健康やん?そやから3年て事はないんと違う?」と姉は言うが…
肺がダメになったら息出来ないんだから、他の臓器が健康でも生きられないんだよ~!と大声で叫びたかった(笑)

で、タイトルの戻るのだが・・・・・

今の私、十分に幸せなのだが…あと何があればもっと幸せ?
(ちょっと贅沢極まりない気もするが・・・・・)
自分の現状、何が足りてて何が足りないのかを考える。

健康は諦めた。望んでも仕方ない事なので出来る限り現状維持、
風邪等にも気をつけて、肺に負担のかからないような生活を心掛ける。
子供二人は成人済み、自身30代で孫にも恵まれ男女一人ずついる。
ワンコは3匹目、現在4歳で可愛くて可愛くて仕方ない💕
夫は200%の愛情を注いでくれている。限界突破の愛情だ(笑)
住まいも充実、金銭的にも不満無し。夫に感謝。

結局私の欲しいものは、自身の命の権利なのだ。
私の意思で、限界が近づいた時に死を選べる権利。
苦しまずに最期を迎えられる権利。
夫に挨拶をして、笑顔で逝ける権利。

この国が終末期の安楽死を認めない限り、私の欲しいものは得られない。
国民に重税を課し、一部の国会議員が私腹を肥やしている現状。
国が先導して国民の首を真綿で絞め殺してるも同然なのに
何故安楽死はダメなんだ?国が故意に国民を死に至らしめるのは良くて
終末期で苦しむ個人の意思は認めてもらえない…何故?

誰でも気軽に安楽死なんて言ってるんじゃない。
終末期に苦しむ患者の安楽死を望んでいるのだ。
これが出来ないというのは…やはりここにも利権があるからなのか?
誰かが人の命で私腹を肥やしてるからなのだろうか?

重税も然り、年々この国は生き辛さが増してきているような気がする。
きっと気のせいではないのだろう。


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