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原因不明の特発性間質性肺炎に罹患する。

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闘病日記みたいなものです。闘病中の方、同じ病に罹患されている方の参考になれば…(あまりならないかもですが)苦しみを少しでも軽減させようと書いてます。思いを吐き出して明日も生きたい…
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#安楽死

難病に罹患し2年経過。生きる気力がどんどん減少していく。

最初は気力があったのか?と問われれば…あった気もする。 抗繊維化薬を飲んで進行を遅らそうとしてたくらいだし、多少は気力もあったのだろう。しかし、抗繊維化薬の副作用に悩まされてから徐々に気力が低下した気がする。 まぁ当初は医者の言う事聞いておけばまだ生きれるのだろうと思ってたし。 でもさ、医者の言う事聞いて薬飲んで苦しい目に遭ってさ。 で、薬止めたら元の生活に戻ってさ。そりゃ進行してるのだろうけど 日々の苦しさは投薬中の比じゃないよね。投薬中はしんどかったもん。 診断されてか

何があれば幸せなんだろう?

私自身が決して不幸なわけではない。 いい人生だったと胸を張って言える人生だ。 自分で選択し歩んできた人生だが、人生の分かれ道があったとしたら(あったかどうかは分からないが…)私ちゃんと正解選んでるやん(笑)と思う。 しかしながら人間は無いものねだりをする生き物でして・・・・・ お金が無ければお金を欲しがり、健康が無ければ健康を求める。 今の私だ。健康が欲しい・・・・・というか、もしかしたら私病気なんかじゃないんじゃね?とか想像したりしてる(笑) 私の肺は、まだそれほど病の

この国の医療制度はやはりおかしい気がする…

このように(タイトルのように)考えるようになったきっかけは、 ①父が難病で呼吸苦に耐えながら約2年半前に他界した ②自身が父と同じ難病に罹患した(診断されてそろそろ2年になる) ③義父が5か月前に他界した まず父。私と同じ特発性肺線維症だったのだが、具合が悪くなってから あっという間に他界した。とはいえ、本人は苦しんだと思う。 在宅酸素を導入してから2ケ月ともたなかったので、急逝といっても過言ではない。本人が入院は絶対に嫌だと言い張ったので、最後まで自宅で過ごした。しかし呼

1/11通院日 2024年最初の診察

あけましておめでとうございます。 本年もぼちぼち生きて、ぼちぼち書いていきたいと思ってます。 さて、今年最初の予約診の日。 休薬してから3ヶ月毎の診察になったので、ちょっとラク(笑) 車で30分程で行けるとはいえ、診察が終わるまで半日は費やすので 毎月通院は結構面倒。正直、3か月毎でも面倒・・・・・ 今回はいつも通りの診察で、採血・検尿・レントゲンだ。 血液検査も特に異常無く、レントゲンを見る限りでは 現状維持といった感じみたい。でもさ、私の眼にもはっきり 両肺が白くなっ