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墓を訪ねて30里ともうちょい

 残念ながら題名も作者の名前も覚えていない。
 現代文の問題で不幸が黒い貨物列車の様に次から次へと連なって来る、とかそう言うような文を読んだことがあった。
 言われて見ると確かにそうだなと思い当たることに見舞われる。
 これから語るのは直近の話。
 両親が相次いで倒れた。母の病気は特殊なので入院して以来家に帰ることなく2年後に亡くなった。父の方を家で看ていたが5年後に亡くなった。母が亡くなる1年前に西浦の伯父が脳血管障害で倒れた…
 伯父は独身であった。さてその顛末はというと、自分でなんだかおかしいことに気付き最寄りの病院まで車を運転し、そのまま入院して2か月位で亡くなった。
 病院の説明では脳に溜まった血を抜かなければならないためにDrainageという脳外科手術をすすめられた。
 さて手術には成功したものの予後が良くなかったのか術後すぐ亡くなった。今考えて見ると医師に経験値を与えるための手術をしたようで、もし復帰できたとしても90歳近い年齢で誰がその後の面倒をみるのか、また医療費はどうするのか…
 さて伯父はというと長らく両親の墓が建てられないことを気に病んでいたらしく、また農作業では生計がたてられないことから地元の石材屋で働いていたが、1996年頃にやっと墓地を改葬することが出来た。
 2010年に父が亡くなり私は一人になった。別にどうということはなかったが経済的に行き詰って今でもその状態から抜け出せていない。それが向上してきたのは近年になってからである。その5年くらい前だったが、伯父の命日がいつだったか気になり始めていたが電車賃が往復5000円かかるので中々行かれなかった。
 さて西浦への行き方だ。東海道新幹線で三島に出て乗り換えて沼津からバスというのが常識的なルートになるが、途中に通る大久保の鼻の荒涼とした景観が嫌だった。しかし伊豆長岡から三津に出るバスがあることを知ったのでさらに特急を使えば新幹線よりこちらの方が安上がりで快適であることに気付いたのでそのルートで行くことになった。
 さて当日は横浜駅を9時24分に出る列車を利用した。すると伊豆長岡駅には10時55分に着く。そこからバスで終点で降りる。しかしそこからバスを乗り継ぐことになるが30分ほど待たなければならないので歩く。その道のりは徒歩でだいたい1時間。
 そうして目的地に着く。
 ところが当地の墓参の仕組みは少々変わっていていて、献花の代わりに樒を供えるのである。これを手に入れるのが少々面倒で、行った先には花屋がない。仕方がないから墓があるかどうかまず確かめに行くという不思議な事になった。
 もちろんこの行動には理由がある。伯父は独身であるから墓があるかどうかまず判らないのでそれを確認したかった。それはすぐ終わったのであとは来た道を戻り15時50分発の列車に間に合えばいい。
 家の最寄りの駅に着いた時はまだ明るかった。

運転台裏のポスターは既に色褪せていた
十年ぶりに見る縁地の海
ここに昔目印となる船があったが今はない
あればあの時盛り上がったかもしれない
誰の墓だろう…こういう情景が羨ましいが、御布施という形で跳ね返るらしい



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