見出し画像

INVADED BY me

 上は憤慨中の大先輩です。
 羽沢の件、写真渉猟中に出てきたが、どういう目的で撮ったのかまったく見当が付かない。ただひと月ほど前にこのような面相をしてしまったから、丁度いい契機だった。
 さてやつがれは口頭で人に込み入った何かを伝えることが出来にゃーで。
 どうしてこうなったのか判らないが、恐らく小学校に上がるまで他人と付き合う機会が殆どなかったので言語野がはざわ野同様に未発達のまま今日まできたのだろう。そうなると無塚しいことを伝えるには文章しかないわけ。だが8年ほど前に某新人賞で大きな目の篩で振り落とされたことから多寡が知れていることが判るな。
 さて私が憤慨したのは伝説のウザキャラの襲来に怯えたわけではなく、『鉄道ピクトリアル』2023年2月号の記事のことである。特集は高山本線でその中の岩成政和氏による「高山本線全通88年通史」がいかんのです! 
 というのは、その膨大な註記である。
 ネエ?ドウシテトマラナイ…
 これでは読むリズムが乱れてしまって仕舞には何を読んでいるのか判らなくなってしまうだろう。
 オシエテボク(ラ)ハドコ江ムカエバイイ…
 ただ鉄於汰、いえ鉄道趣味人というのは少々おクドイ方が多いようで、ちょっとした誤植でさえ文句を付けるものだ…南武線を南「部」線と言っても差支えはないだろうと思うが。しかしこういうと何が悪い! と言われるだけなのです(くすん)…南武線が、ぼくの住みかさ(南武線のザジちゃん?)
 ナンカネ、サビシクナッタヨ…
 でもほっとけな・い・ん・だ…註記なんてなくたって案外大丈夫、OK?
 氏の文章では…たしか1996年8月に発刊された「特集 街づくりと鉄道」だと思ったが、今調べると違った…東京都交通局に入局した時に先輩方から妙なほめられ方をした。という何かを読んだのが一番古い記憶で、あの頃はまだ軽妙洒脱感があったのだがこの頃ドシドシくどくなる一方で、ちょっと心配してしまうのです。
 これというのも氏が東京都で今和次郎じゃない今新三郎のように栄達したお方のようだから、もしかすると都でやって行くためにはこういう何かがあるのかもしれませんね。しかし正確主義というか、立場の強いものが何も失いたくない、ていうか、そういうのが感じられてちょっと気づまりです。

カタカナ文っていうのはどうよ?
権威を傳へたいのか

 昨年某文学館で吉田健一展が行われていたので見に行った。古本と反故が展示してある位なのに入場料は700円とスコブル高い。瓢箪のような下らない平面の建物代かと思うと憤慨した。
 それでも御殿場線の改築某駅のアホデザインよりましかも…×してどうするだ?うさこちゃんのお口でもにゃーし、ス●スタかのん妄想ちぃちゃんでもね~ら!そうだら?
 そこへは忘れていた級友に会う積りで出かけたのだが。何かが待っているか知ら?って感じで。途中の女子学童の品の無いことにこの国の将来を案ぜざるを得ない。

なしですなしです

 ここで渠(かれ)のことを口にするのは、その文章に英国の酔っ払いを表するのに奈良漬を出したこの文章があったことを思い出したからである…文章指南術の本に触れられていた。論理的な文章が良しとされるのは当然だがこのような文章にも計り知れない価値があるような事を言っている。原文も掲載書も出て来なくてちょっと検索を掛けたら次のような言葉が出てきた。

  何か旨そうな話が雑誌その他に出ているのが
  頼りにならないことも前に言った通りである

 ちなみに吉田健一で検索したら全く別の存命人物が出てくるのは如何? 教えてコンパイラぁ……ホームページに出てくるのも商業的なものばかりで頼りにならないことを「此ノ際」ですので言っておきます。
 また来週…

追記
 「此ノ際」は大正末から昭和初期にかけての流行語です
 『南武線のザジちゃん』という本はありません(薄くするは浅間敷事)
追記2
 あれ、ちょっとくどくない? お口直しにうつむき加減の我が分身を上げておきます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?