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2年だなんて、ほとんど永遠ね。【第5話】


いままでのあらすじ
1978年。6月。15才のぼくは、同級生のかごめと海を見ている。高校生のぼくらは、帰りの列車の時間を気にする事なく、ただ、一緒にいたくて、駆け落ちすることにした。ぼくの誕生日、駆け落ちする日、駅のホームにかごめは来なかった。それから毎年、ぼくは自分の誕生日に駅のホームにひとり佇む。34年目。50才。ひとりの女子高生が、ぼくに声をかける。彼女は一通の手紙をぼくに渡す。それは長い、とても長い、かごめからの手紙だった。


名前さえ知らない木、ふたたび

 大学を4年で卒業した私は親元に帰り、お豆腐屋さんを手伝いながら、地元の小学校の図書館にも出入りするようになった。大学で司書の資格は取ってたんだけど、採用試験を受けたわけでもないから、ほんと、ちょっとしたお手伝いしか出来ないけど、まあ、小さな集落だから、何をするにしても助け合いが当たり前なのね。
 24の時、大分からの引越しを手伝ってくれた男性から、結婚を申し込まれた。同じお豆腐屋さんで昔から働いてる人だから、私も挨拶くらいはしてた。もちろん、すぐに断ったわ。タツヤが昔、自分の住んでる田舎町では、噂はすぐに広まるって、話してくれたよね。ここでも同じよ。その人は
「全部分かってるから、心配しないで」
 って、言うのよ。私は大分で妊娠して、怒った父親が相手の男と殴り合って倒れて、それで私は中絶して、ここに戻って来た事になってるのよ。噂は怖い。近所の人は、想像で私の歴史を作って納得している。疑いもせず。私より私の事をよく知ってるんだ。私は16のあの時から何も分かってないまま、どっちを向けばいいのかさえ、毎朝混乱してるのに。でも、そうだったらよかったのに。初めての人がタツヤならうれしいのに。そんな事、いつもの小川の橋に腰掛けながら思ってた。
 その人、わたしに結婚を申し込んだ人、柿谷さんっていって、私たちより5つ年上。職場では誰ともほとんど話さない、豆腐作りだけに打ち込んでる職人気質。噂好きなみんなによると、もともとは山口の人で、豆腐作りを学ぶために18の時、ひとりで移住してきたって。
「なんか山口であったんよ」
 って、私は聞きもしないのに、事あるごとに、お店のおばさんたちが話しかけてくる。
 柿谷さんは、それから1年に一度くらい、私に、
「結婚してくれませんか」
 って、言ってくる。特に食事に誘われるわけでもなく、たまたま私がひとりでいた時とか、もじもじしながら近づいてきて、ぼそっと言うの。私が毎回すぐに断ると、
「分かりました」
 って、仕事に戻っていく。変わった人よね。
 私は誰とも付き合わず、淡々と日々をすごしていた。
 図書館のお手伝いはずっと続けていて、本の整理や貸出カードの入替などしていたの。毎年、学校の予算で少しだけど新しい本が入るの。たまに寄付で送られてくることもあるのよ。地元の人や、他県に就職している卒業生とかから。大体は、小学生を意識した本なんだけど。当たり前よね、小学校なんだから。だけど、たまに少し上級者向け、っていうか、高校生あたりが、これから社会に出て行くための支えになるかもしれないような、そんな小説が送られてくるの。寄付した人は、私には知らされていないから分からなかったけど、誰だろうな、って、ずっと思ってた。タツヤのはずないし。あの頃タツヤは、2年かかっても、白鯨、読み終わってない、って、言ってたよね。もう、読み終わった?
 私が38の時。38よ、笑っちゃうでしょ。29も、32も、34も、私にはとりたたて、ここに書くような出来事がないの。38になった年の夏。この地域で、かつてなかったような大雨が降って、いつも私がひとりで歩いてたあの小川が氾濫したの。家とか、職場とか、住民に被害はなかった。でも、私がいつもひとりで座ってた、あの小さな橋が流された。小さな川に、大量の水があふれ、信じられないくらい大きな木を運んできて、名前さえ知らない木を運んできて、小さな橋を文字通り粉々にしたの。ショックだったわ。とても。タツヤに手紙を書いた場所だったのに。この地で過ごしてきた日々のよりどころだったのに。タツヤと過ごしたあの時から、もう20年以上経つのに、ここでも名前さえ知らない木が、私を押し潰そうとしてる。

つづく。



 


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