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2年だなんて、ほとんど永遠ね。【第6話】


いままでのあらすじ
1978年。6月。15才のぼくは、同級生のかごめと海を見ている。高校生のぼくらは、駆け落ちすることにした。ぼくの誕生日、駆け落ちする日、駅のホームにかごめは来なかった。それから毎年、ぼくは自分の誕生日に駅のホームにひとり佇む。34年目。50才。ひとりの女子高生が、ぼくに声をかける。彼女は一通の手紙をぼくに渡す。それは長い、とても長い、かごめからの手紙だった。遠くの地に引越したかごめは、職場で出会った柿谷という男性からプロポーズされるが断っていた。ある日、図書館の仕事を休んだかごめを、司書の長野さんが尋ねる。


小さな花柄のワンピース

 私は2、3日、仕事を休んで家でじっとしてた。今まで休んだ事なんてなかったから、心配して図書館の司書の方が、お見舞いに来てくれたの。大きなスイカを持って。お母さんがそのスイカを切って出してくれた。きれいな緑色だったわ。
 長野さん。司書の人のお名前よ。長野さんと私の部屋で少しお話しした。長野さんの出身は別の県なんだけど、そこで司書をしてて、若い時に結婚して旦那さんの地元があるこの地に来たんだって。そんな事すら、私はこの時まで会話する事なく過ごしてたんだ、って、あらためて思ったのを覚えてる。長野さんが、スイカを小さくフォークで切りながら、ポツリポツリと、そんな事を話してくれた。ふと、顔を上げた長野さんが、
「佐藤さんの部屋って、きっと本が山積みなんだろうって、勝手に想像してたけど、あまりここには置いていないのね」
 って、言ったの。
 私もスイカから視線を上げて、あらためて自分の部屋を見たんだけど、ほんと、何もないのね。私の部屋って。悩みに悩んで大分駅前パルコで買った、あのワンピース。私のお気に入り。どこ行っちゃったんだろう。大分にいた頃、私の部屋にいつもハンガーにかけて飾ってた、小さな花柄がついたワンピース。今でもコインロッカーの中で、私を待ってくれてるんだろうか。今でもあの駅の約束のホームで、私を待ってくれてるんだろうか。タツヤは。
 気がついたら、長野さんが私のそばによって、右手を私の左肩にそっと置いてくれてるの。どうしたんだろう、長野さん、って思ったけど、どうかなってたのは私だった。長野さんが持ってきてくれて、母が切ってくれたスイカが入った器を、さっきまで持ってたはずの手から取り落として、両手に顔を埋めて押し殺した声で泣いてるのは、私だった。ちゃんと声を出して泣く、そんな事も、もう私には出来なくなっていた。もしかしたら私は、ほんとは声さえ出せていないのかも知れなかった。
「佐藤さん。時々、小学生向けじゃない本を寄付してくれる人がいるでしょ?」
 なんの話だろうと、長野さんを見た。
「柿谷さんなのよ」
 長野さんは、少し私の顔を見てから、
「柿谷さん、あなたの事が本当に好きなのね。彼、無口で、そう言う事を自分から相談する人じゃないらしいけど、彼の職場の先輩が、勘づいたのね。ほら、このあたりって他人の事に興味津々でしょ。『柿谷は、かごめさんと挨拶する時、えらくもじもじしてる』とか、そんな事なのよ。その先輩ってのが、私の主人の同級生なの。これだけ小さな集落だもの。誰とも繋がっていない人って、まずいないわよ。あなたを別にして」
 長野さんは、柔らかく微笑んだ。
「お節介焼きの私の主人が、柿谷さんに話したらしいのよ。自分の嫁さんは小学校の図書館でかごめさんと一緒に働いてるって。そしたら柿谷さん、身を乗り出して、どうすれば心を閉ざしてるかごめさんを、助けられるかって、それは切実な顔をして、言葉を選びながら相談したって。私の主人は、女性の気持ちが細かに理解できてるってタイプじゃないから、自分から柿谷さんに話しておきながら、いざ相談されると、どうしたらいいかわからず、結局私に泣きついて来たの。だらしないでしょ。日頃偉そうなこと言ってても、肝心な時にあたふたしちゃうのね。まあ、素直にそういってくるところもかわいいんだけど。あれ。のろけなんかじゃないのよ」
 そこまで話した長野さんは、スイカをひとかけら口に入れて、食べ終わると話を続けた。
「私はあまり自分から人と関わらない方だと思う。だけど、主人に強く頼まれて、結局のところ、その柿谷さんと会うことになった。こうやって話しながら、どうしてそこまで、ある意味、お節介な行動をとったのか自分でも不思議だわ。柿谷さんとは、佐藤さんがお手伝いにいらっしゃらない日に、図書館で会ったの。話に聞いていた以上に、無口な男性ね。かごめさんには、この図書館で週に2、3日、本の整理を手伝ってもらってます、とか、話したわ。彼は、ゆっくりと部屋の中を見渡して、本棚を見てもいいですか、って、尋ねたの。どうぞ、図書館ですから、って、答えた。彼の動作は、どれもゆっくりとしてるのね。お仕事中もそうかは知らないけど。始めは本棚全体をながめて、それから端の棚に近づくと、ひとつひとつ、ながめていった。とても大事なものに出会ったようにね。私は、いつもの緑茶を飲みながら、静かに待ったわ。ああいう風に本をながめる人って、私、好きよ。彼に入れた緑茶が冷えてしまった頃、席に戻って来た。お時間いただき、すみませんでした、って、いって。本、好きなんです、私は中学、高校と、図書係でした。その頃はよく読んでいましたけど、こちらにお世話になってからは、読んでいません。また、読んでみようかと思います。時間はたくさんありますので。あの、かごめさんがお好きな本、そういうのがあれば、教えていただけませんか?、と、聞かれたわ。その日初めての、そして唯一の質問だったと思う。私は、ここにあるのは見ての通り、小学生向きだからね、特にこれを読んでるって、お伝えできるものは思い浮かばないわ、申し訳ないけど、って、答えるしかなかった。彼は、少し残念そうな表情を浮かべたように見えた。私は言葉をつないで、柿谷さん、佐藤さんのことで知りたいことがあれば、お互いで話を重ねればいいのだと思う。周りから聞くんじゃなくて。今のあなたの話と、私が知ってる限りでいえば、おふたりの共通点は、本、だと思う。あなたがどういう本を読んできたか、どういう本を読みたいか、まずはそこから始めてもいいかも。自分を伝える、ってことから。柿谷さんは、自分を伝える、って、小さな声で繰り返してた」
 自分を伝える。私には伝える相手が今、目の前にはいない。16のあの日から、ずっと。長野さんの優しい声を聞きながら、私は自分の事ばかり考えていた。38にもなって。私はまだ、中身は高校生のままだった。そう思った時、はっとした。柿谷さんが、名前を伏せて寄付してくれてた本は、彼が高校の時に読んだ本だったんじゃないか、って。
「長野さん、今から図書館に行ってもいいですか?」
 と、尋ねたら、綺麗な笑顔で、
「いいわよ」
 と、答えてくれたの。あんな綺麗な笑顔、いつか私もできるようになるのかしら。
 
つづく。



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