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なが~い独り言だよ

 おはようございます!魚木まるです。

 最近は、朝晩秋の気配。風の湿度が全然違う。空の高さも。虫の鳴き声もずいぶん哀愁を誘うものに変わってきて…。私の大好きな秋がもうすぐそこまで!でも、秋の初めって切なすぎてちょっと辛い。すべてが色あせていくような気持ちになるね。


 私は夏休み後半戦始まりました。前半戦はそこそこと言った感じなので、このままいい感じに過ごせればなあと思います。去年の夏よりかは充実してるかしら。いろいろやりたいことがありすぎて、やってる途中にも新しくやりたいことがどんどん増えて、何から手を付けたらよいか分からなくなって、そういうときはいったん寝ます。寝るの大好き。私、昼寝何時間しても夜は八時間ばっちり寝れるタイプなので、親に病気を疑われています。たぶんそういう体質だから大丈夫だよ。


 文化祭用の小説、いろいろ考えた末、当初の思惑とは全く違う形で進行しています。一万字以上ボツになっているので少し悲しいけれど、そういうもんだよね。それがいつかどこかで活きてくることを願いつつ。


 最近、人生とは、一生とは…ということについて考えてます。こう書くとすごく深刻そうですが、簡単に言えば、この地球の上に、水平にも垂直にも、いろんな人の生涯が積み重なっているのは面白いなあってことです。


 八月の下旬に家族で旅行に行ったんですけど、そのときいろいろと会話してみて、父も母も一人の人間なんだあって思いました。文章にするとなんか変だな。

 最近の我が家では、ご飯の時Tverでドラマ見ながら食事してるので、改まってゆっくりと話す時間がなかったんですよね。だから旅行でペンションに宿泊した際、久々に家族三人じっくり話してみて、いろいろ思うところがありました。

 母親とは結構しゃべるほうなんですけど、父親とはそうでもなくて。父は若いころの話とかしてくれたんですけど、すごく新鮮だった。昔、今の職に落ち着く前は、演劇が好きだったこともあり文化センターで働いていたらしくて、そこで企画担当だったそうです。どんなアーティストや劇団に来てもらったらお客が集まるのか?ということを考え、実際に芸能事務所に掛け合ったり、ステージのセッティングに携わったりしていたそう。

 そこである日、前々から絶対に呼びたい!と思っていた劇団との交渉に成功したんだって。その劇団の芝居は何回も見るほど好きだったし、周りの人も良いんじゃない?!と乗り気だったらしいのですが…



 結果は惨敗…

 席は半分ほどしか埋まらず、大赤字になったそうな。


 その劇団はとにかく人数が多く、舞台セットにもこだわりがあったらしく、例えばオフィスを舞台上に再現する際も、張りぼてじゃなくホンモノにこだわっていたみたい。だからとんでもなくチケット代が高くなる。そうするとお客が来ない。


 父も母も、実際にその公演を見て、めちゃくちゃ面白かった!と大絶賛していたのですが、見てくれる人が少ないんじゃあ意味ないんよね…それが芸能界の現実。


 この大赤字が原因ではないと言っていましたが、その一年後に今の職に転職、まったく違う業種なので、もちろん演劇に関わることはそれ以降一切なく…。


 でも、今でも東京に遊びに行くと、必ず「劇見たい!」といって一生懸命面白そうな演目を探しています。私が首都圏の大学に通っているので、より東京に行きやすくなり喜んでます笑 どう考えたって一人分のスペースしかない部屋に、三人で寝るのはなかなかきついものがありますが、あと二年耐えようと思います。この間、下宿の契約更新に関する書類が来たので、私がもっと広いところに行きたいなあ…と言ったら、我慢しろと言われました。今の所は、平日朝晩ご飯が出るので、親的には安心らしい。一応今は親の監督下にあるので、栄養失調になったら困る!そうです。就職したら、完全独立、親は私の生活のすべての決定権を放棄するそうで、それ以降は餓死しなければなんでもいいと言われました。死なないように頑張りたいと思います。


 話をもとに戻しますと、そこで初めて父の若いころを知って、私と同じ人間なんだ~って思った。なんか高校生までは、ずっと親と一緒にいたせいか、父は「父」、母は「母」でしか無くて、そんなわけはないんだけど、親は生まれた時からその姿だったんじゃないかって思ってたんですよ笑 だって物心ついた時から親は親で、毎日一緒にいるとほとんど変わりないように見えるんだもの。

 でも離れて暮らしてみて、「家族」という意識が少し薄れると、今まで話してこなかった、話しづらかったことも話せるようになって(友達だと話せるけど、家族だと話せないことってあるじゃないすか)、人間だなあって感じた。

 今までは父、母としか見てなかったけど、ひとりの人間として、どちらも私に思うところがあったと思うし(親としてじゃなく、という意味)、私も無意識に、子としてでなく、一人の人間として親に思うところがあったのだと思う。

 前世の記憶がある人もいるらしいけど、基本的には人生一周目だから、お互いうまくいかなくて、ムキ~~~ッ!ってなったこともあるけど、そりゃあいくら家族とは言え他人が一つ屋根の下にいるわけだから、理解しあえないことにいら立つのは当然だわな。私も、今なら、あの時親が言った言葉の意味分かるな~と思うこともあるし。かといって、過去の私が悪いとは思わない。親も親で、子どもだから正しいわけがないといって取り合ってくれないこともあったし。子どもも子どもなりに、ちゃんと考えて生きてるんだよ。想像するよりちゃんと信念をもって行動してるんだよ。


 まあお互い大人げなかったということで…ね。だから私は、できるだけ他人に優しくありたいと思うよ。だってそれぞれ違う物語があって、違う喜びがあって、悲しみがあって、理想があって、それを語り合うたびに衝突してたらキリがないし悲しいんだもん。


 最近さ、ネットニュースとかのコメントを読んで、なんでこんなひどいことを言えるんだろうって思うことがある。特に人の命に関わることについて。どんな言葉をかけても、それがたとえやさしい言葉に見えても、誰かを傷つけるかもしれないってどうして分からないのだろう。言葉っていろんなものを含むことができるから、その言葉の本当の意味だけじゃなくて、その反対の意味も時には暗示してしまうことがある。誰が、いつ、どんな風に発したかによっても、意味が変わってきてしまう。だから、沈黙することも必要だと思う。議論は大切だし、私も好きなんだけど、なんでもかんでも言えばいいってもんじゃないよ。まず一回黙って考えてみたほうがいいよ。全員にそうしろって押し付ける気はないけど、私はそうする。

 それに、強い言葉を使って相手を非難したところで、結局その言葉は自分の中に残って辛くなると思う。鋭利な言葉ばかり使っていたら、考え事するときもそういう言葉ばかりが出てきてしまって、それが自分に突き刺さってくるようでつらいよ。言葉って丁寧に大切に使わないと、自分まで傷つけちゃうと思う。そうしたらいつまでたっても幸せになんてなれない。


 私も、ブログ書いたり、小説書いてみたり、別にプロとかじゃないけど言葉が好きなので、改めて気を付けようと思った。誰も傷つけないのは無理だけど、そうしようと心がけることはできる。


 今日は、久々にとてもまじめな内容でした。まあいつも少しふざけてるだけで、私は結構真面目に考えて生きてるんだよ、本当はネ!


 それでは、この辺で、さようなら。

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