私はただのロリコンでは無いのだ。

好きとはなんだろうか。

理由なき愛は霧雲と同じ、思考しつつも霧散してしまうのだ。性欲で消費される愛も愛だが、私が子供へと、未熟な妖精たちに向ける愛はそんな使い古された愛ではない。

欲のタンクがいっぱいになった時に現れる愛はいわば夢魔で天使のように笑いかけてくれるあの子たちとは月ほども差がある。性欲を子供で消費してしまえばAVと同じ下劣な土俵に下ろしてしまう事になる。

私が子供で性処理をしないのは同じ土俵に立ち笑い合い性欲のない純粋な好きを浴び、意識の無い接吻を浴び記憶の片隅にでも初めての対等な人間として私を置いて欲しいからだ。ただ処理はしないだけであの造形に性欲は感じるし陰茎が反応を示す(チンポダウジング)のはあのでばったあばら骨、白い肌。昔、放課後児童クラブで感じたあの先生という肩書きの強さ、小児性愛者ですらひた隠しにし、無条件で子供に好かれ愛撫することのできる最強の肩書き、だが入るのは難しく知り合いからの紹介でしかはいることはできない。私が入ることができたのは母親が働いていたからだ。

だがその頃私はロリコンを自認してはいなかった。もちろんプールに入り膨らみのないつまらない胸を押しつけられ、スクール水着をきて耳を噛んだり、頭を触って見たり、たまに好きといってみたりされれば、その頃は射精を知らなかった故に陰茎は破裂寸前になっていた。彼女、彼らは寂しがり屋の子供たちで親の帰りを待つ鍵っ子ちゃんで懐くのも、嫌うのも早い。
だが私は嫌われなかった、嫌われなかった故にそこを辞めてしまった。

私が子供たちと溶け合って一部になり離れる時胸にぽっかり穴が開くのが怖かった。とても耐えられない、今ですら子供たちとの交流をこんなに求めているのに。成長していく姿を見て喜ぶのは親かそれに匹敵するものだけで子役が歳を取れば終わったなんて言われるように美しさ、無垢さが失われていくのは悲しいことなのだ。花が枯れていくのと同義まである。

少し前私は着ぐるみのバイトをしようと思っていた。
それは江戸川乱歩の人間椅子を読んだならよくわかると思うが姿を見せずに美しいものを汚らしい手で触れずに愛撫したかったからで、しかし私は小男だ。着ぐるみに入ることができるのは160cmの小小男で目論みは成す前に終わってしまった。安全に合法的に子供を見続けることができるバイトはやはり児童クラブだ。次点でプールの監視員、駄菓子屋の店主。

だけど虚しいではないだろか。私はすでにA5ランク最高級焼肉を頂いているにも関わらず、安い焼肉に行こうとしているのだよ諸君。ニンフェット(小説ロリータ参照)は成人男性が触れてはいけないものだということだ。それは女性も同じ。正確には性欲を持って子供に触れるな不届ものめが、ということだ。かわいいものはかわいいもの同士で触れ合ってくれ。永遠に。花園から出ないで何も知らないままで。

ニンフェットとは好みすぎるロリのことを指します。

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