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傘とのおわかれ


突然の別れ


その日は朝から友人と遊びに行っていました。夕方からは劇団の稽古があるため、名残惜しくも早めのお別れをして、私は電車に揺られていました。

普段は同棲している彼と一緒に稽古場へ向かいますが、今日は私がいつもと反対方向の電車に乗っているため、稽古場で合流のかたちとなりました。

顔を合わせるなり、「傘を持ってきたのに電車に置いてきちゃった…」と落ち込んだ様子の彼。
今は雨が降っておらず、偶然にも傘を小道具として使うお芝居を練習していたので、私はてっきり稽古で使うのに持ってきたものだと思い、「今雨降ってないもんね、忘れちゃうよね」と返すと、どうやら今夜が雨予報だからと持ってきたもののようです。
しかも自分の傘が職場に置きっぱなしだからと、私のをふたりで使おうと持ってきたとのことでした。

突然自分の傘が紛失した状況にびっくりはしましたが、本気で怒るわけでもなく、他の人に冗談めかして話したりしていました。
なんとなく、すぐに返ってくると高を括っていたのです。
そんなに大きな路線ではないし、高価でもない普通の傘だし。日本だし。


いつも通り楽しく稽古を終え、次の日の朝。鉄道会社の問い合わせセンターに電話をしました。対応していただいたお姉さんに勧められ、午後にもう一度電話をしましたが、2回とも回答は
「該当するような傘は見つかっていません。」とのこと。

このあたりで私の心の雲行きが怪しくなり始めます。もう戻ってこないかもしれない。誰かが持っていってしまったのか。見つけてもらえてないだけで車内にあるんじゃないか。

責任を感じている彼が、昨日乗ったのと同じ時間の電車を見に行ってみようと言いました。もしかしたら昨日と同じ車両を使ってるかもしれないからと。
少しの期待を胸に、一緒に駅まで向かいました。しかし、嬉しい出来事は起こりませんでした。
その路線は彼が通勤でも使っているので、明日からも探してみるよと言ってくれましたが、この捜索が不発だったことで私の中の傘生存確率はがくっと下がってしまい、気持ちもみるみる落ち込んでしまいました。

あんまりしょんぼりする私に、
「あの傘、誰かからの贈り物だったの?」と彼はおずおずと尋ねました。
「別にそういうわけじゃないけど、」とだけ私は答えましたが、
「別にそういうわけじゃないけど、すごくお気に入りで大事にしてた。贈り物じゃなくてよかった、なんて全然思えない。」と言いたくなって、喉まで出かかって、必死に飲み込みました。
彼がそういう意図で聞いたのではないことは分かっているし、人のものを失くしてしまってすでに責任を感じている彼をこれ以上追い詰めてもなんの意味もないことも分かっていました。
でも悲しい気持ちが消えないのも事実で、少しでも元気を出して彼の罪悪感を薄めたくて、贅沢をして美味しいご飯を食べに行きました。

まだ諦めたわけじゃないけれど、私のところに来て1年半。もっとたくさん一緒にお出かけできると思ってたよ。
ずっと待ってるから帰っておいで。


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