見出し画像

剪定

人間って変われるのかもしれない。


私はズボラな人間です。
ごく少数の変なのを除けば、こだわりなどはありません。
「マメ」から程遠い人間なので、自室も生活のままに汚れていき、気が向いたときに一気にきれいになる、というサイクルを繰り返しています。

私の恋人は几帳面なひとです。
自分の中にルールをいくつも持っていて、とても規則性のある生活をしてい(るように見え)ます。ちいさなことでも先延ばしせず、やるべきときにやる姿には、丁寧な印象を受けます。


今のところ、私はそんな彼の性質を面倒だとか厄介だと思ったことはありません。むしろ尊敬しています。
もし将来一緒に暮らすことになって「僕のやり方に従ってほしい」と言われても特に問題ありません。
それほどまでに私自身にこだわりがないのだと、最近気づきました。
それに彼のルールはちゃんと基になる理論のうえに成り立っていて、「なんとなくこうしたいから」という、従いがたいものではありません。


初めて彼の家にお邪魔したとき、特別「きれい好きなんだな」とは思いませんでした。しかし後日彼に面と向かって尋ねたとき、まっすぐに「きれい好きです」と答えたのです。

この謎は再び彼の家に行ったときに解決しました。
私の中の「きれいな部屋」の定義は「ものがあちこちに出しっぱなしになっておらず、整然とした、生活感のないかんじ。目に入るのが大きな家具ばかりで、スケッチするのがそんなに大変じゃない部屋」。
一方で彼の部屋はというと、目に入る物の量がたくさんで、一目見た感じだと「散らかっている」と感じる部屋。しかし見慣れてくると、全ての物があるべき場所から外れることなくそこにあるのだということが分かってきます。床は裸足で歩いても不快感がないし、洗い物も溜めたりしません。えらすぎ。


そんな彼に感化されてなのか、彼に居心地の良い家だと思ってほしいからなのか、最近こまめに掃除をするようになりました。まだまだ彼と比べたらズボラ寄りですが、週に一度は掃除機をかけ、トイレ掃除をし、コンロの汚れが気になれば拭き掃除をし…。
以前の私からは考えられない進歩です。きっと両親に言っても信じてもらえないでしょう(両親は私が一人暮らしを始めるとき、ゴミに埋もれて窒息死する心配をしていました)。

そんなこんなで、今日も彼が遊びに来るので昨晩は掃除をしていました。
そんなとき、ふとベッドの上のタオルケットに目が行きました。もう6,7年使っている相棒。本当に、今の今まで気にも留めなかった、飛び出た糸くずが気になりました。
たぶん一般的にはかなり気になるレベルで、それはもう長いのがたくさん飛び出ていたのですが、それをどうにかするという発想がそもそもありませんでした。しかし昨晩の私は一味違いました。
ハサミで飛び出た部分を切り落としていき、やり進めるうちに少しだけ飛び出た短いのも気になってきて、最終的にはすっかり若返ったようにきれいになりました。嬉しい…。


彼が私の恋人になってから、たびたび考えることがあります。
今までの恋人に抱いていた感情とは何かが明確に違うな、と。

今までの恋人たちのことを、当時の私は好きでたまりませんでした。今の恋人のことがそんなに好きじゃないというわけではなく、「これが私からの『好き』です!受け取ってくれ!!」という気持ちでいっぱいだったのです。
だから、相手の反応や言動で一喜一憂することも多々ありました。
しかし今の恋人に対しては、「どうか幸せでいてくれ」という気持ちが一番大きいです。
怒ったり、悲しんだり、なるべくつらいことが彼の身に降りかからないでほしい。でもそんなのは不可能だとわかっているから、その苦痛を少しでも和らげられる私でありたい。
それに、私が一喜一憂しなくてすむのは彼の日頃の行動によるところもかなり大きいと感じています。思ったことは正直に伝えてくれるし、行動に裏がない。だから、LINEが突然返ってこなくなっても不安になったりしない。

なんだかものすごく惚気になってしまいましたが、そんな素晴らしいひとに見合うような、何かを与えられるような人間になるべく、私は精進していかねばと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?