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ドイツの森事情-Waldszenen

入り口の前に

 ドイツで見聞したことを元に、旅行記ともエッセイとも小説とも言えぬ何かを編んでみたくなったので、とりあえず書き始めた(ということは今後も何本かnoteを投稿するかもしれない)。食べ物への不満やらホームレスの話やらネタは色々あるのだけれど、良くも悪くも一番今回の滞在で縁が深かったのは森であるように思われる。ドイツの森。すごくメルヘンチックな響き。

森の入り口

 森との最初の邂逅は意外にもドイツに来て二日目のことだった。ドイツ最初の日は空港に着いた頃には陽が落ちかけており何も活発な活動はしていないので、二日目が実質的には一日目である。大聖堂や河川、美術館などなど他に数多あるドイツの文物の中で最初に触れたものが森であるのは多少奇妙なことだが、そもそも宿泊場所から森の中だったのでどうしようもない。現地生活の長い日本人の教授が我々のアコモデーションについて「あー、そりゃあ随分とまた山奥だねえ」と呟いており、その時はまださほど自分が山奥に泊まっているという自覚がなかったけれど、その後何度も「あー、そりゃあ随分とまた山奥だねえ」の本当の意味を思い知らされることになった。さて、その日の朝、ひんやりした空気(と書くと高く青い空を連想させるが低く雲が垂れ込めていた)の中、宿泊していたユースホステルのすぐ近くの森を散歩した。ヨーロッパの小さな町に宿泊するのも初めてならユースホステルを利用するのも初めてである僕にとっては、森も立派な観光地であった。この「ツーリスティックな散歩」において得ることのできた知見は微々たるものながら、穏やかな外見の下に何やら安らかならざるものを秘める空間ではなかろうかという印象が強く残った。

待ち伏せる狩人

 多少のぬかるみこそあれ、ある程度整備された平らな道なので、森はドイツ人と犬にとって格好の散歩スポットである。まるで髭もじゃの狩人と彼の忠実なるハウンドといった体なのだが、彼らは互いへの厚い信頼に基づいてなのかしばしばリードなしで辺りを闊歩する。これは日本に住む甘っちょろい人種にとってはちょっとしたカルチャーショックである。そりゃ秋田犬とか土佐犬とかがその辺をうろうろしてたら怖くて気が気ではないから当たり前なのだけれども。それにしても、ラブラドールのような大型犬が飼い主からかなり離れた位置を歩いているのを目にすると私のような小心者はいちいちハラハラしてしまうのだけれど、飼い主と思しき人を窺い見ると大抵連れと談笑していたり長閑に煙草をふかしたりしている。困ったものだ。

寂しい花

 さて、茫漠と木が立ち並ぶ単調な森にわずかばかりの彩りを与えてくれるのは道端に落ちているメルヘンなアイテムたちである。まず子供用の靴の片割れを見かけた。これが茶色の艶っぽい色の靴で、森の木々の色とよくマッチしていたのが印象的である。そしてすぐ近くには灰色の手袋。これまた片手だけな上に子供用。この二つのアイテムと森というキーワードからあなたは何を想像するか…。私はどちらかというとサスペンスの香りを感じ取るタイプ-この靴と手袋の持ち主たる少年少女はいったい何者なのか! そして彼ら彼女らは今どこで何をしているのか!-なのだけれど、メルヘンな空想も悪くない。といっても、ドイツのメルヘンにはヘンゼルとグレーテルのように結構えげつないものもあるわけだけれど。いずれにせよ、この時点におけるドイツの森への視線は地面を這う蟻ん子のそれと大差ないものである。

気味の悪い場所

 ドイツの森をまったく別の視点から眺める機会に恵まれた/眺めることを余儀なくされたのはそれから数日後の夜に数人の友人と訪れたコンサート(プログラムはシベリウスのヴァイオリン協奏曲-なんと森の香りのする音楽であろうか-とベルリオーズの幻想交響曲)から帰るときのことであった。前述の通りユースホステルは山奥にあるので、最寄りの駅からバスに乗らないといけない(乗らずとも構わないがそうなると1時間半以上の徒歩行程が要求される)のだけれど、劇的なコンサートに行ってふわふわした脳味噌のまま近くに停まっていたバスに乗り込んだらあまり芳しくない場所に降り立ってしまい、地図アプリを信用して一か八か不気味な山道を横断するか安全に市街地を延々迂回するかという究極の二択を迫られることになった。コンサートの興奮にお酒の酔いが素敵にミックスされた状態で理性的な判断などできるわけもなく、当然のように山道を選択する。
 しかし、強行軍が始まるとほぼ同時に酔いが醒めるほどの後悔に苛まれた。道が見えない。しかも辺りは街灯ひとつなく真っ暗である。暗い夜の喩えに「墨を流したような」というのを多用する人がいるけれど、これくらい暗い夜に対してのみ使うことにして欲しいと思うくらいには真っ暗である。スマホのランプを頼りになんとか道を見つけ、歓楽の一夜にヒビを入れてじわりじわりと忍び込む不安を押し殺しつつ歩みを進める。ちなみに、歩みを進めるというのもなかなか大変なことだ。というのも、相次ぐ雨のせいで道がとてつもなくぬかるんでおり一歩ごとに足を取られて転倒する恐怖-なお都合の悪いことにコンサートにはそれなりの服を着て行っているから転んだときの金銭的・精神的ダメージはひとしおである-と戦い続けねばならぬからである。まして私がそのとき履いていたのはトレッキングシューズでないのはもちろんのことスニーカーですらなく、靴底に何の滑り止めも付いていないタッセルローファーであった。
 かくも悪しき状況のなかで歩んでいたのだけれど、再び立ち止まることとなった。今度は何が起きたか。道がない。見えないのではなくて、ない(Es gibt keinen Weg)。突如として行き止まりになってしまい右にも左にも道はない。ただ茂みが広がっているだけである。傘がなくて困った井上陽水も道がなくて困ることはないだろうに。地図アプリを一旦無視して少し迂回することも試みたが、泥だらけの茂みをかき分けつつ正しい方向に進むなんて無理にも程がある。途方に暮れていると同行者が「倒木の向こうに道が続いているような気がする」と発言。確かに目を凝らすとそんなような気もする。ということで、その可能性に賭けて倒木を突破しにかかる。問題は、「倒木」と言っても単に丸太が転がっているというような生やさしいことではなく、枝付きの大きな木-枝付き!-がごろりと横たわっていることである。刺々しい枝になるべく触れずに済むよう体をくねくね動かしながら倒木をくぐり抜ける我々の姿の何と滑稽なことか! ここはアスレチックパークではないのだ。そうこうしてなんとか再び道に戻り、あとわずか5分ほどの-と地図アプリは言う-宿への道を急ぎ、ようやく見えてきたホステルの灯りに心躍らせ、しかし心躍るあまり足元不如意に陥ることなきよう気を配り、やっとの思いで森を抜けることができた。
 この強烈な体験を後日知り合ったドイツ人にお話ししたら「よくもまあそんな恐ろしいことができたものだ、森には猪やら鹿やら色々出るのに」とのコメントをいただいた。猪のように森へと突き進んだ我々-「我々」を扇動/先導したのは他ならぬ私なので、この一人称複数形は顰蹙を買うやもしれぬ-は馬や鹿に違いない。
 その後、またバス乗り間違い関連で夜の森を徘徊するイベントが起こってしまったのだが、これら-盲いたフクロウのように夜の森を歩き回ること-はドイツの森の何たるかを推知するためには欠くべからざるパーツであるように思われる。視覚を奪われるということは自ずとその他の感覚が研ぎ澄まされることを意味するわけで、例えば聴覚・触覚的情報の比重が増す。特に音は重要である。夜の静まりかえった森に響くのはただ風が木々を揺らす音と我々の足音や息遣いのみである。それは日本でも同じなのではないかと思われるかもしれないが、下草や低木の少なさに起因する風通しの良さは独特である。火照った顔に湿気を含んだ冷たい風がひゅうと当たるときの心地よくもゾッとするような感覚は何とも形容し難いものだ。ドイツの夜の森は、そこを通る者にその薄気味悪さを存分に味わわせ、彼が次に森を歩くときは昼であろうとそこはかとない気味の悪さを感じざるを得ない。Ach, mein Vater, mein Vater!

なつかしい風景

 ドイツの、あるいはヨーロッパの森の風景はデジャブを引き起こしやすいように思われる。そもそもデジャブの感覚は適度に抽象化された情景により喚起されるのではなかろうか。すなわち、特定の経験の背後にあったいくつかの記号的特徴がその経験と結びついて記憶され、それらの記号的特徴に再会したときにデジャブを見るということではなかろうか。友人のM君は幹線道路を走る車にしばしばデジャブを見ると言っていたが、これも例えば夕暮れ時に大切な人と道路沿いを歩きながら交わした会話という経験が、広い幹線道路・オレンジ色の街灯・車が過ぎ去るときのエンジンの音などとともに記憶され、同様の状況(夕暮れ、幹線道路、二人きり、などなど)におかれるとデジャブが訪れる、と解釈できよう。
 してみると、記憶に残る「記号」に満ちたドイツの森にデジャブを見るのはごく自然なことである。というのも、ドイツの森には下草や茂みが少なく木々もまばらであるため、下草・低木・高木が渾然一体をなす鬱蒼とした日本の森に比べて情報量が少なく、その分個々の特徴的な情景を記憶に残しやすい。さらに、カナダの針葉樹林のような完全に整然とした森と比べると特徴的な情景が多い。キノコだらけの木や曲がり角の標識、隣接する家屋などがその例である。
 そんなわけで私は森の中を歩きながら(幸いこれは昼間の話だけれども)何度もデジャブ-この先の曲がり角を右に曲がったことがある気がする、などなど-に立ち会い、その度に居心地の悪い思いをしたものである。

宿屋

 一貫性を愛する者としては、「宿屋」を経ずして予言する鳥を登場させるわけにはいかない。

<宿屋の記憶>
・赤煉瓦
・真っ暗な廊下
・古びたセントラルヒーター
・親切な親爺と厳格な女管理人
・廊下や階段で催される夜通しの宴会
・壊れた洗濯機と乾燥機
・茹で卵すら供されない朝食
・玄関に掲げられた万国旗
・棺桶サイズのベッド
・泥水コーヒー
・朝食に並んでいる洋梨でも和梨でもない謎の梨
・頼りない金庫
・廊下にこだまする足音、話し声
・無意味な挨拶( Ils disent bonjour–Ich sage Guten Tag–Ils disent merci–Ich sage Danke schön )
・下着で走り回る子供たち
・タイルに残る泥だらけの足跡
・黄緑のロンドンストライプで織られたシーツカバー
・しばらく冷水しか出ないシャワー
・ウォシュレットなどあるわけがないトイレ
・陰鬱な会話(進振り、就職、D進、結婚)
・部屋中に散乱した-より正確には散乱させた-酒瓶、ペットボトル

<建築について>
 森のはたに位置する建物は、新旧によらずクラシカルな様式で統一された都市部の建物に比べてバラエティに富むように思われた。我々の宿の周りにはトラディショナルな西洋建築だけではなくコルビジェ的・ミニマリズム的な建築も随所に見受けられたのである。ユースホステルは赤い煉瓦造りのかなり古風な建物であり、建物の中もひょっとしてこれは昔刑務所か何かとして使われていたのではないかしらと疑いたくなるくらい無骨な印象であったが、お隣はモカブラウンくらいの明るい色調の外観でスタイリッシュなホテルだったし、少し歩くと深緑と浅緑を巧みに組み合わせた大ぶりのメタルタイルで造られたまさにモダニズム的な宿泊施設があった。感心すべきはそれらすべての建物が森という周囲の情景に少しも矛盾することなく個性を見せていたことにある。某ファナックのように森のど真ん中に毒々しい黄色の社宅や工場を建てたりはしないのである。

予言の鳥

(先ほどの章で予言する鳥について書きたくてたまらないかのような表現をしたが、実はここに書くべきことは何もない。確かに森に棲まう鳥の声は少なからず聞いているのでそれについて書くことくらい造作もないことといえばそうであるが、ルールに従って書こうとして自縄自縛のどん詰まり底なし沼に陥りひたすらくだらないことを書いて字数を稼いだ筒井康隆の二の舞にはなりたくないのである。従って、ここまで読んできた気丈・奇矯・奇特な方々には願わくばアルフレッド・コルトーの演奏(https://youtu.be/3HQ9yxiDLSM )をお聞きいただきたい。掛け値なしの名演である。)

狩の歌

 時は18世紀。選帝侯クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンは、薄明のなか何かに取り憑かれたかの如く居城を出立し愛馬に鞭を振るってケルン近郊のブリュールの森を疾駆し、彼の後を随身たちが息せき切って追行する。随身たちは己が主人の狼藉に堪忍袋の尾が切れつつある。相次ぐ政治上の失策に、巨額の宮殿・庭園への投資。そしてなお彼らの神経を摩耗させるのは決して中止されることのない連日の狩猟と森の別荘での愛妾との密会である-森が愛の場として機能するのは何もチャタレイ夫人の場合のみにあらず-。しかし、神経質そうな馬面のこの男をしてここまで暗い森の中での狩猟・猟色に明け暮れさしむのはいったい何なのであろうか。そのことを大胆にも主君に尋ねた家来がいる。クレメンス・アウグストは彼を見て微笑むと剣を抜き彼自身と家来との間にスゥと一本の線を描いた。家来はこれをクレメンス・アウグストによる回答の拒否と了解し即日官職を辞した。しかし、クレメンス・アウグストが引いた線は無回答の印ではなく彼の回答そのものであった。彼が森に惹かれる理由、それは境界線としての森がもたらす心地よさである。森は公と私のアンビバレンスを成す。人々の共有財産であるという点で公的でありながらも、他人の視線を遮る木々の存在は森に私的な性質を付与する。城館で大勢の家臣に監視されながら送る「公的な私生活」に辟易したクレメンス・アウグストにとって、「私」を解放できる公の場所はただ森が残されていたのみだったのである。
 さて翻って21世紀。全世界的に公と私が混交する。自宅の前に設置された監視カメラ、自他の動向を一時の間もなく暴露し続けるSNSによって私的な世界は消滅した。一方、白昼堂々道端でキスするカップル、イヤホンを耳に挿しスマホの画面に没頭する電車内のサラリーマンによって公的な世界もまた、「私」の耐えざる侵入に曝される。公と私の境界が消滅し、誰もが公的空間に私的空間-マジックミラーに囲まれたバブルのようなプライベート空間-をポッと作り出すことも、逆に私的空間に公的空間を現出させる-監視カメラなどというケッタイなものを引き合いに出すまでもなく、すでに居間のテレビから流れてくるニュースも私的空間のなかの公的空間である-ことも容易な現在、人は何を求めて森へ向かうのか。

別れ

 要するに、森は最後に残された逃避の場所なのだ。18世紀、いやそれ以前からずっと公と私の境界としてあり続けている森は、公と私が至るところで錯綜した世界に生きている/生きさせられている僕のような人間に「そもそも公と私の狭間とは何なのか」という洞察を与える。しかし、それは時としてひどくペシミスティックな色彩を帯びる。というのも、「森という公共空間で、散歩という私的活動を行う」という単純な構図を作れる森の中なればこそその洞察は一定の正しさを保持し得ている、そして裏を返せばその枠組みを外れれば効力を失うというのは、誰の目にとっても明らかなことだからである。
 1761年2月に60歳の生涯を閉じたクレメンス・アウグストの最期を私はこのように想像する。肌は黄ばみ頭髪も弱々しい白髪がまばらに生えているのみ。だらしなく垂れ下がった唇と白く濁った眼は心身ともに疲弊した彼の様子をよく表す。健康を害した彼にとって、森に行くことは当然寿命を縮める行為に他ならない。かつてのように鷹を操る力は残っていないし、森の別荘の女たちが彼に魅せられることももはやなく、彼女たちは己の同情を表現するかのように彼を愛撫する。それでもなお、彼の行き場/生き場は森しかない。その日も彼は馬に乗って森へと向かう。「なぜ毎日森に行くのか」。そう尋ねてきたかつての家臣の顔がふと脳裏をよぎり、当時と同じように再び彼は微笑んで地面に降り立つ。馬の蹄で「耕された」ぬかるんだ地面に。すぐさま足を取られて尻餅をつき、彼の両手は体の脇で泥の中に埋まる。ぬらりとした冷たい泥の感覚は、しかし、惨めなものでもなかった。「これでよいのだ、こうあるべきだったのだ」とでも言いたげに、彼はおもむろに乗馬靴を脱いで裸足になり、素足をぬかるみにズブズブとうずめる。生暖かい彼の足が地中の虫を冬眠から呼び覚まし、じわりじわりと彼の足は無数の小さな虫-草鞋虫、蚯蚓、やすで、蟻、などなど-に包囲される。鈍い青色に光るムカデが毒針を彼の土踏まずの柔らかい肉にぷつりと刺したとき、クレメンス・アウグストは声にならない叫びをあげて気を失った。彼は、公と私の別無き生活に耐えかねて森へと逃走し頓死した敗北者として冷酷に処理され、彼の血筋が再び選帝侯の冠を被ることはついぞなかった。
 クレメンス・アウグストという無名の選帝侯は、ある意味において我々-この虚しく響く複数形は、同じ葛藤を抱えるのは私だけではないことへの願いでもある-の先駆者である。私もまた、彼が如く森の中に独り寂しく身体を臥して生涯を終えることになるのか。それとも私には森すら残されていないのか。

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