キセキ

 お久しぶりです、語りたい本や映画めっちゃあるけど、今日はちょっとある曲について。グリーンのキセキ、です。

 誰でも知ってる曲の一つですが、これ確かドラマ「ルーキーズ」の主題歌じゃなかったかな?佐藤隆一のやつですね。巨人の坂本勇人の登場曲としても有名ですね(僕はけっこうな阪神ファンです、お間違えなく)。

 おおかた察しがついた通り、この曲って結構野球と関連づけられることが多いんですね、ていうかMVでも少年野球のシーンが出てくるので、関連というか、もう野球そのものって僕的には言わせて頂きたいのだけれどもね、うむ。

 で、僕がこの曲を聴くと思い出すのが二つあって、一つはもちろん”野球”、しかも自分の少年時代の頃の野球です。もう一つは”平成”なんですね。

 まず後者から。僕は平成生まれなのですが、だからと言ってもいいのかなーー、平成っていい時代だったよなーーー。いや思い出は美化されるって簡単に言うけどもさ、それでもやっぱり良かったなーーーと思ってしまうのですよ。だってね、自分の幼少期であり、青年期ですよ。人生80年だけどその体感は20歳で半分過ぎてるって、科学的根拠がいかにもなさそうな噂(あながち間違っていない気もする)がありますが、それは20歳までの経験が真新しくて新鮮でだからこそですよね。もう戻らない過去、アドレッセンス。辛いこともたくさんあったけどね。

 ほんで本題は”野球”ですよ!!僕はね、本当にこの野球というスポーツが好きなんですね。今回はそんな僕の小学生の頃の話ね。中学の頃はまた今度。プロ野球選手、なりたかった。今でもなりたい。

 僕が野球を始めたのは7歳の時、小学校一年生の時ですね。地域の野球チームをいくつか見学して、そのうちの一つに入りました。シャイだった僕は(今もだけれど)、知らない人だらけで本当にドキドキして、それでもみんなが野球を楽しそうにしているのを見て、野球やりたいって思って、始めました。父親に連れられてまわったんですよいろんなチームを。キャッチボールしたなあ。

 入ってからの僕は、これがなんと上手い方の部類に属する”野球選手”でありまして、客観的事実を挙げると、一個上の代のAチームに抜擢されて、スタメンもはれるようになったんです。その時はサード守ってました。当時は父親が本当に厳しくて、今思えば多分父親は俺に本気でプロ野球選手なって欲しくて、それ故の厳しさなのかなとも思うんだけれど(というかそう思いたい)、それにしても厳し過ぎて、毎日練習の後怒られて、試合で打てなかったら殴られて(平成の教育はこんなものなのです)、いつしか楽しくて始めた野球が楽しく無くなって、ヒットを打ちたいから打つんじゃなくて、父親に殴られないためにヒットを頑張って打つ、みたいな、そういう日々が続いて。野球の練習は毎週土日なんですが、ほぼ毎週泣いてました、泣き虫だね。低学年の時ね。

 それでも辞めずに続けたんです、それはもちろんチームの同級生、先輩、コーチのお陰でもありますが、やっぱり何よりも野球が楽しかったんだよね。特にバッティング。ホームランなんか打てちゃう少年だったから、その快感を知ってしまったんです。あのね、この世でホームランを打つことより素晴らしいことってないんじゃないかな。

 高学年になっても上手さは健在で、サードからショートを守るようになりました。野球でショート守るってのは結構名誉なことで、いわゆる花形のポジションなのです。でもね、この頃から、だんだんと、「上手いは上手いけど、一番ではない」くらいになるんですね。ていうのも、僕は背が小さくて、パワーがなくなってきて(相対的な話ですが)、ホームランが打てなくなってきたのですよね(球場が大きくなっていくんです、高学年になるにつれて)。あれだけ厳しくてほぼ毎週チームの練習に来ていた父親もだんだん来なくなって(まあこれは色々大人の事情も絡んでいるのですが)、そして僕より上手いやつがチームに入ってきて、そいつがチヤホヤされて。今まで完璧にチームの中心だったのに、いつの間にか脇役に成り下がってしまいました。まあその上手いやつ、あまりにも上手過ぎてu-12の日本代表とかに選ばれるやつだったから、もう嫉妬というより尊敬してました。仲も良かったです、少なくとも僕はそう思っている。まあ僕のチーム内における地位はだんだんと下がっていったという訳です。

 そんな成り下がった自分を庇うわけではないですが、この野球というスポーツにおいて「脇役」ってほんと欠かせないんですね。そりゃもちろん何本もホームラン打って、150キロ投げられる方がいいに決まってますよ。でもね、そういうスペシャルな人ばっかりいても、絶対勝てないんです。これは絶対にそうなの。大事なところで負けるんですよ、そういうチームって。野球において強いチームってのは(これはあらゆるチームスポーツに共通しているかもしれませんが)、各々が自分の役割をきっちりと理解し、チームのために、たとえかっこ悪くても、貢献できるような集団のことを言います。野球はホームランだけで成り立ってはいないのです。緻密な作戦、バントや盗塁、進塁打、守備、そうした記憶や数字には残りづらい縁の下の力持ち達の支えがあって、はじめてチームは強くなるんです。そう、野球は一人ではできないんですよ。文字通り、一人じゃできないのです(しっかりとここに含蓄されている、コノテーションを感じてくださいね)。

 何が言いたいかって、僕の少年時代所属していたチームは高学年になって、一人だけそのスーパーな人がいましたが、それ以外ははっきり言って全く取るに足らない野球選手だったのです(僕も含めて)。しかしながら、これだけは負けないって言えるものがありました。

 それは、繋がりです。僕たちは繋がっていました。一つになっていました。みんな仲が良かったし、歳の割には自分の野球選手としての位置がわかっていた。分担ですよね、あいつは足が速い、あいつは球が速い、あいつはホームラン打てる、よし俺には何ができるだろう、みたいな。
 母親達の繋がりもすごかった。試合の時はいつも大勢で応援しにきてくれて、練習の時は暑いから冷えたタオルとかジャグ(スポーツドリンクのことです)の準備とか、毎週シフト組んで交代でやってくれて。もちろんお金は出ませんよ、完璧なボランティアです。すごいよね、それって。当たり前のことじゃないと思います。
 ほらね、一人じゃできないんですよ野球は。みんなでやるスポーツなんです。もちろん他のチームスポーツもですが。
 グラウンドに出てる選手達だけでもできない、ベンチで応援する控えの選手、一塁コーチャー、三塁コーチャーをする選手、クソ暑い中、大きな声で応援してくれるママさん応援団。いろんな人の思いが一つになってはじめて、チームってのは強くなって、自分たちの実力以上の結果が出せるんです。綺麗事に聞こえると思うけど、そういうのって大事なんですよ、本当に。

 過去の美化なのかなあ、ただの伝記的幻想なのかしら。でも、ほんとうに僕らのチームはそうだったと思うんですよね。僕らの代。だって、最後の年、小学校6年ですね、トップチームになった時、東京都大会で準優勝して、全国大会出ましたもん。高円宮杯みたいな、マクドナルドがスポンサーについてるやつ。あの一応言っておきますけど、全出場チーム6チームの中で準優勝とかではないですよ笑。東京都だけでも多分当時2~3千チームはあったと思います。ていうかまず区大会、市大会で準優勝以上しないと都大会すら出れないからね。我々は区大会で優勝、都大会で準優勝したから合計12回くらいはトーナメントで一回も負けずに勝ち進んだことになります。繋がりで勝ったんだぜ。実力的には都大会2回戦負けくらいのチームが、準優勝だよ。チーム創設以来初めて(結構歴史あるチームらしい)、ていうか多分最初で最後。
 え?全国大会?一回戦負けですが。スラムダンクみたい。

 今思うとそれはそれは間違いなくキセキ、だね。人は一人じゃ生きていけません。野球だって、できません。言葉以上のものを、ぜひ感じ取ってください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?