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ステップを踏み続ける

 村上春樹の前期三部作、いわゆる鼠三部作の続編(完結編)であるこの「ダンス・ダンス・ダンス」は、上下二巻となっており、「羊をめぐる冒険」に比べてもだいぶ厚い。今回は僕がこのシリーズを読むに至った経緯、そして考えたことなどをつらつらと書きます。

 まず僕は、強烈にこの本の題名が好きだ。強烈に惹かれて、強烈に魅了されている。「ダンス・ダンス・ダンス」。なぜだろう、とりわけ理由もないのに。きっと言語化できる類の感情ではないのだろう。世の中にはそういうものがしばしば存在する。

 僕はある日、書店であてもなく本を見ていた時、この本の題名がふらっと目に留まった、そう、本当にふらっと。そして、この本を読みたいなと思った。いや、この本を読まなくてはならない・・・・・・・・・・、と思ったのだ。ところが、この本はなんと前述した通り、シリーズものの続編で、完結編であった。だから僕は、その前の作品を全て読む必要があった。
 こうして、「ダンス・ダンス・ダンス」を読むために、それも強烈に題名に惹かれたからという理由だけで、三部作を読むに至ったのである。

 以下、読んでない方は読んだ後に見た方が楽しいであろう。


 と、言っておきながら、このシリーズ(特に最初の二冊)には物語らしい物語は存在しない。もちろん、あることにはある。人だって死ぬし、恋愛もある。しかし何だろう、大雨がずっと降り続いているような状態ではないのだ。ずっと馬鹿みたいに晴れ続けている訳でもない。ただ、小雨がしとしとと降り続いている、そこに我々は連れ込まれている、湿気もかなりある、雲も厚い、だが心地が良い。このシリーズを読んでいるとそんな気持ちになる。僕はこういう物語がたまらなく好きだ。

 さて、内容に触れていく。
 題名にもある、ステップを踏み続けるということ。

”キャラ”という言葉がある。その人が生まれ持ってきた宿命とでもいうのだろうか、キャラ。このキャラという言葉、他者との関係の間に規定される自分という存在証明、僕はこれにときどき、すごく疲れる。僕の”キャラ”はひょうきんもので、それは気持ち悪いだったり変わってるなどと形容される。否定するつもりはない、だがそのキャラの奥にある何かを感じ取れない人が大勢いる。僕はこういう人たちを心底軽蔑している。決められたステップを踏み続けている人の裏にある努力や葛藤を想像もしないで、ただ眼前のステップを見て楽しんでいる人たちのことだ。
与えられたステップは、時に優雅で、時に味気ない。意に反するステップもあれば、自分の思うがままのステップもある。それがどんなものであれ、我々は生きることを選択している以上、踊り続けなければならない。show must go on,life goes on.
俺は気持ち悪くない、俺は変わってなどいない。お前らがそのレベルに達していないだけ、お前らの感受性が極端に弱いだけ、お前らの娯楽はクソだ。

行ってしまうものと、行かないでそのままとどまるものの違いは何だろうか、変わっていったものと、未だ変わらずにあり続けるもの。

「意思のあるところに方法は生じる」


今日も僕は、決められたステップを踏み、踊り続ける。


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