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間にある言葉

いま感じる。
もう覚えた台詞を
毎日毎日繰り返し、確認し続ける。
疲れて半分眠っていても
きっかけが来れば、思わず呟いてしまうほどに。

心配性と昔のトラウマにより
こんなに慎重になってしまったわたしでも
さすがにこれで
台詞を飛ばす方が難しいような
そんな気がしてきた。

明るい光が、心の中に射し込んでくる。

わたしにとって
この世界を生きる上で
一番大切な強さとは
台詞をきちんと覚えられること。
本番で落ち着いて、笑顔でいて
いつも通りのお芝居が出来ることだ。

台詞覚えは、ただの暗記とは違う。
覚えていても、出なくなるということが起きる。

それは台詞というものが
感情や情景とセットになっているからだ。
稽古と違う芝居をしてしまい
違う感情が動くと、台詞が飛ぶ。
ここでは雪を見ると決めていたシーンで
その仕草を忘れれば
台詞は何だったかなとなる。
そのような仕組みなのだ。

だから丁寧な稽古が必要だ。
どれくらいの間を空けるのか。
声の強さ、気持ちの爆発の強さは
どれくらいなのか。
ささやき声で芝居をするなら
それも相手には事前にわかっていないと
動揺を与えてしまう。

そうやって協力しあっても
本番では仲間であり、敵だ。
互いにまっすぐにぶつかり合うことで
美しい結晶が生まれる。
芝居は仲良しクラブでは出来ない。
恐怖を共有しているから
もっと深いところで繋がっていくのだ。

台詞を呟いていると
母が一緒にいると感じる。
どうしてなのか、わからないのだ。
ただ、そのヘビーでハードな
作業をしているとき
わたしは寂しくないことに気づく。

母が一番喜ぶことをしている。
そのことも知っている。
だから迷いがない。

台詞とは
この世とあの世
そして真実と虚構の間にある
言葉なのかもしれない。

だから、使いこなすのが難しくて
この手に掴まえても、するっと逃れてしまう。

自分が真実だと思っていないか。
自分がこの世にいると
思っていやしないか。

そうではない。

わたしたち俳優は演じるとき
虚構を生きる。
あの世に行くのだ。

そうだ、と気づくとき
台詞が自分の言葉になっていることに気づく。
母に話しかけるような気持ちで
間にある言葉を
大切にしたいと思う。

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