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尖ったもの柔らかいもの

わたしの中に両方ある。
尖ったもの柔らかいもの。

尖ったものはでもたまにしか出てこない。
昔芝居をしていた頃はよく出てきていた。
でもそれは芝居をしていたからではなく
歪のある環境にいたからだったと
今さら気づいたのだ。

わたしとは尖ったもので
だから人を傷つける。
だからそばに寄らないほうがいい。
そんな風に思っていた。

あの頃。
尖っていたのはわたしではなかった
のかもしれなかった。
わたしは傷だらけで
自分がどうしていたかさえ
思い出せなかったのだから。

それでも。
今でも。
芝居をすると
神経がすり減る、としか
言葉であらわせない感覚がある。

わたしにとって。
芝居ほど恐いものはこの世にはない。
愛する人の死の次に恐いものだ。

すり減る。枯れ果てる。
もういい。十分だ。
知っている。
こんなにも枯渇することを
知っている。

なのに、何故やるのか。
やわらかい、優しい
今の幸せを計りにかけて
何故わたしはしばしば
恐怖を選ぶのか。

まるでわからない。
それがわたしだ、ということだけが
わかっているのだ。

子供の頃からそうだった。
安定を崩す、わざわざ満たされない。
そんなことをして
母をよく困惑させた。

褒められても、結果を出せても
どこかで空疎な自分を知っていた。

それよりも、スキーや弓道
バレエや日本舞踊の
極端な厳しさと静寂が
いつも何故か
わたしの友だちだった。

友だち。
そうなのだ。
それがキーワードなのかもしれない。
わたしが芝居にまとわりつくことの。

昔から
ラブロマンスよりも
バディものに涙腺が弱いタイプだった。

わたしに恐怖を与える
めんどくさい友だちを
わたしはいつか
飼いならせるのだろうか。

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