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優しさが一番辛いのなら、その優しさを

自分を許せなかった。
あの日からずっと。そして今も。
それが愛するということの
代償なのかもしれない。

自分に冷たく、心を閉ざして
接していると楽だった。
思い出や優しさは
傷に塩を塗りこまれるように
痛かった。

時間はたったけれど
あまり状況は変わらない。
芝居をつくっていても何をしていても
ふと気づく。
ああ、彼女はもういないんだ。
そうか、いないのか。
どうしてだったろう。
それの繰り返しだ。

ある意味では、傷を早く
塞いでしまいたくて
芝居をしたようなところもあるのじゃないか。
これでは本末転倒ではないか。

塩は、人から塗られるよりも
自分で塗ったほうがいい。
そのことに尽きる。

時が傷を癒してくれるのを待つより
自分で塩を塗りこんで
うめきながら
傷の治り具合も自分で見ていたい。

傷が痛くて泣くほうが
ずっと楽だ。
美しい思い出に
泣かされるよりも。

いま子どもを亡くした母を演じていて
ヤマアラシのようだと思う。
全方向に棘を伸ばし 
警戒心でいっぱいで
誰かにその傷を突かれるのではないかと
怯えきった目をしている。

わたしも、そうだ。
本質的には何も変わらない。

母はそんなこと望まないだろう。
明るく生きてほしいだろう。
でもそれは母の課題で
わたしのではないのだ。

根のない木はないように。
苦しみのない愛はない。
だから、仕方ない。
苦しもう。
愛の代償として。

不思議なことに、いまのわたしに
とても近い場所にいる人物を
演じられることになった。
それはわたしの課題だ。

天の采配であろうと思う。

優しさが一番辛いのなら
その優しさを
我が身に塗りこめ。
そして、その姿を舞台にあげる。

それがわたしの知っている
追悼の仕方だから。

この登場人物は救われなければならない。
それだけはわかっている。

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