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続ける、ということ

久しぶりの舞台復帰を終えて
今思うこと。
こんな苦しいことを
10年もやっていたのかー!っという
他人事のような驚き。
そんなにも好きだったか…という気づき。

ここから、また演劇を続けることは
簡単ではない。
わたしはかつてプロの俳優だった頃
結婚しない、子供を持たない
宣言をしていた。
演劇というものが、他者を排除する
時に傷つける構造だということを
理解していたからだ。

わたしなら、女優の妻は嫌だし
女優の母も嫌だ。
周りにいる人を寂しくさせてしまうことが
この仕事にはあまりに多い。

精神の不在。
一言で言えば、そこに問題がある。
肉体のことであれば、何とでもなろう。
単身赴任や出張のようなものだ。

俳優という字が
「人に非(あら)ず」と何故書くのか
昔教わった。
自分個人として、不在である。
演技に関わっている間は
人に非ざるものになるからなのだと。

「河原乞食(かわらこじき)」
そんな言葉もある。
一般の人から少し下に観られていた。
得体のしれない、奇妙なものとして。
それが芸能にたずさわるものの
歩んできた歴史である。

イロモノなんていう言葉もあるが
わたしは自分を
そのように感じてきた。
どこか正統でない
道を外れたもの。

でも、ここからは違う道だ。
イロモノにはイロモノの
正道というものがあるのではないか。
そんな風に思うのだ。

続ける、ということは
どんなことも並大抵ではない。

いつか女優の妻も悪くないと
夫に思ってもらえるように
正道を模索していきたいと思う。

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