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正しいのだとしたら

もしもわたしの選んだ道が
正しいのだとしたら

今立っているこの場所が
正しいのだとしたら

もしそうだとしたなら
わたしは今泣かずにはいられない

あの日から
わたしはずっと
修羅の道を歩いていた
そのつもりだった

母のために
鬼にも蛇にもなり
わたしは
人間らしい感情に
流されてはならなかった

わたしは
甘っちょろくて情けない
小さなわたしでいてはならなかった

母が逝ってしまって
わたしは萎んで
小さなわたしに戻った

あの時散々ほんとうは
心の中で繰り広げていた
迷いや苦しみ、エゴの葛藤や弱さ
それらがマグマのように
噴き出してきた

そして思ったのだ
間違っている可能性しか
考えられなかった
ずっと

でももしも正しかったのだとしたなら
もしそうだとしたなら
わたしは

もしかしたら
生きていけるかもしれない
そして
違う何かになれるかもしれない

もしも正しいのだとしたら
もしも自分にも
そんな可能性や希望が
まだ残っているのだとしたなら

まだ
まだ、ゆるされる道が残されているのならば
それは唯一
わたしが歩くべき道だ

そうだよね
お母さん

正しかったのかどうか
知りたいのなら
生きなくてはならない

新しい修羅の道なら
歩く気になれるのかもしれない 


−いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)−
          
宮沢賢治「春と修羅」より

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