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SNSとの向き合い方

SNSを見なくなった。
正確に言うと
「知人と繋がりがあるXとInstagram」を
である。
(いまだにXという名前に慣れないなぁ)

情報ツールとしてはすごく便利なので
知人と繋がらずにただ情報集めをするためとしては使い続けているが、
自分がよく知る人の情報が
スマホの画面に流れてこなくなってから
2年くらい経っている。

学生の頃に始めたSNSは、
当時はとても便利で楽しいツールだった。
今は思う。それは、ライフステージに
大差がなかったから楽しめたのだなと。

私はとても人の影響を受けやすい。
好みや興味が、ということではなく
人の気をもらいやすいという感じだろうか。

大人になると、人生の進み方や
ライフステージが人によって本格的に
バラバラになってくる。
仕事一筋の人、結婚し出産した人、
ワーキングホリデーや留学に行く人、
夢を追いかける人、、、
いろんな人がいるのは頭ではわかっている。
でも、その人たちのリアルタイムのすべての情報が、こちらの意思に反して入ってくると
自分を見失う感じがしてしまう。
ましてやマウンティングなどされると
SNSを楽しむどころか
自ら憂鬱な気分になりにいっているような気がする。

せっかく自分の人生を楽しんでいても
これでいいのだろうか、
私もこうしなきゃ、ああしなきゃ、
と心をかき乱される。
もちろん知りたい情報や楽しい話も
入ってくるけれど、それにしても量が多い。

情報過多になると心が追いつかなくなる。
人間、知らなくていいことや知らない方が幸せなことはたくさんあると思う。
この何だって知ろうと思えば知れる世の中、
あえて知らないようにすることも
私のような色んな影響を受けやすい人間にとっては大事な自己防衛力だと思う。

自分の人生をSNSの影響で
情緒不安定なものにしたくない。
私は私の人生を、人目を気にせず
自分の素直な気持ちのままに生きたい。
好きなタイミングで好きなことをしたい。
そしてそれに映える、映えないの
ラベルをつけたくない。
私の人生は人に見せるための作品でもなければ
その出来を競い合うようなものでもない。

そんな思いから、SNSでの繋がりをやめた。
やめてからというもの、
自己肯定感が上がったような気がする。
自分のやっていることを、信じられるようになった気がする。
そして、現実の世界のかけがえのなさを感じるようになった。

意識はしていなかったが、自然とその頃から
旅先や出先で写真を撮りまくることがなくなった。
それまで、珍しいものや絶景などを見ると
少しでも記録に残そうと
スマホを取り出してシャッターを切りまくっていたのだが。

どんなものでも
肉眼で見るのが一番みずみずしく、
躍動感があり、美しいと思うようになった。
やはりなかなか「直接」にかなうものはない。

とはいえ1枚も写真を残さないのは淋しいので
数枚はシャッターを切るが、それは早く終わらせ
肉眼で見て、その場のにおいを
堪能することが最近は楽しい。

SNSを含め、便利な機能や技術は
日々進歩を続けているけれど
それはあくまで人間が使うものであって
逆に使われるようになってしまうと、
もはやそれは心をなくし考えることをやめた人間ではない何か、になってしまうような
そんな怖さを少し覚える今日この頃だ。

便利ツールを使いこなすバランスを取るのは
難しいなぁ、と思う。

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