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「虹の音色」 プロローグ

あらすじ
今まで臨床心理士が行ってきた対面カウンセリングを電話で行う職業、それが「ボイスカウンセラー」。
人の声を色で感じ取り、嘘と本音を見極められる主人公、桜川龍神は「ボイスカウンセラー」になるべく、大学のゼミで行われる疑似カウンセリング「コールフレンド」になる。様々な声色をする人々と出会い、救い、救われ、成長してゆく物語。

 
『こんばんは』
 
 全身、いや、自分の周りの景色さえも白く、純白に包まれた。僕の嫌いな混沌の色を持つ音さえ聞こえなくなった。

「っ」

 上手く言葉を発せなかった。発してしまったら、その純白を汚してしまいそうだったから。
 
『私は結城凪砂ゆうきなぎさと言います。あなたのお名前は?』
 
 まるで結氷した水たまりを歩いているかのようだった。
 儚く、今にも壊れてしまいそうな音。しかし、その音は崩れることなく僕の鼓膜を通る。

「……さ、桜川龍神さくらがわりゅうじん
 
 ぺしゃり。
 
 白いカンバスに僕の色が混ざってしまった。しまった。僕は何をしているんだ。せっかくの真っ白な景色を汚してしまった。
 僕はそれ以上言葉を発せなかった。僕の音で汚したくない。真っ白な空間に僕の色を混ぜたくない。それほどまでに彼女の声は純白だった。
 
 こんな音、初めて聞いた。
 
 風鈴が鳴る音、猫の鳴き声、調律されたピアノの音、どんな音も色を持つ。赤、青、黄、様々な色を聞いてきたけれど、白。

 純粋な白の音を聞いたのは初めてだった。いや、これから先もずっと、聞くことはないだろう。それほどまでに彼女の声は美しかった。

 いや、美しいという言葉ひとつで表現することさえもためらいを覚えた。何と表現したらいいのだろう。少なくとも今の僕には彼女の声をどう表現していいかわからなかった。

 したくなかった。

 上手く言葉に表せないほど純粋だった。彼女の声は、電話を通してでも本物・・の音に聞こえた。

 そうだ。本物・・だ。それが、彼女の声を表すのに最も近い表現だった。作られたものではない。何かの始まりの音。音の原型。そんな風に僕は感じた。
 
『電話をしてくれてありがとうございます。あなたの声を聴かせてください』
 
 演技じゃない。作られたものじゃない。完全に本物の声だ。一音ずつ、僕の暗い心の中を白く照らしてゆく。

 ふわふわと、ふわふわと、白い光が浮いている。白い空間の中で、それでも見える白い光が僕の周りに浮いている。

 手に取ってしまいたいと思うものの、掴めない。もし掴んでしまえば、消えてしまいそうな気がした。

 彼女は僕の声を聴きたいと言ってくれた。でも、僕は話したくなかった。ずっと、ずっと、この声を聴いていたかった。

「あの、話したく、ない、です」

 僕はつい本音が出てしまった。しかも中途半端な言葉。これでは彼女は勘違いしてしまう。
 
『いいんですよ』
 
 彼女は僕の心の声を聴いてくれたのだ。音のない声を聴いてくれたのだ。
 心の声を聴いてくれたのだ。そう、直感した。

『あなたの不安、いえ、複雑に絡み合った混沌。それにあなたは縛られている。縛られたままあなたは常に緊張している。つらいでしょう。音を認識しない、寝ているときだけがあなたにとっての安らぎの場。無。あなたはそれを求めている』

「…………」

 どうしてわかるのだろう。僕は何も言葉を発していないのに。
 やはり、僕の心の声を聴いてくれているのだろうか。
 
 えっと、僕は、どうしたらその混沌から抜け出せますか。
 
 僕の心の声は聞こえるだろうか。
 
『私の声を、思い出してください。あなたはきっと、私の声をちゃんと聴いてくれる、純粋な心を、耳を持っている人です』
 
 僕が? 純粋な耳を持っている?
 
『ええ。あなたは色んな音を、見ることができる。だから、あなたには、あなただからこそできることがあります』
 
 僕だからこそ、できること、それって何ですか?
 
『あなたの声を届けることです。あなたの耳、心は、純粋です。その純粋な心で、救える人がいます。だから、救ってあげてください』
 
 僕に、そんなことできるんですか。
 
『あなたにしか、できません。もし不安になったら、また混沌に包まれそうになったら、私の声を思い出してください。そうして、前に進んでください。あなたなら、きっと救える人がいる。私はそう信じています』
 
 ずっと、あなたの声を聴いていられませんか。
 
『ごめんなさい。それはできないんです。もう、私にできることはこれまでです』
 
 ど、どういうことですか!?
 
『あなたを信じています。必ず、あなたは救える。だから、前に進んでください。死を選ばす、生を選んでください。私にできなかったことを、あなたに、託します』
 
 そ、それって――――
 
 通話はそこで終わってしまった。
 
 その通話を終えた僕は生きることを選び、ボイスカウンセラーへの道を歩み始めた。



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