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ときどき日記(18)「急行 八甲田」

【百物語】
国鉄タイプの車両が運行されたとかで、たくさんの撮り鉄が繰り出したとテレビが伝えていた。

そういえば、青い客車型の夜行急行で旅をするのが、若い頃の定番だった。
1980年代は、もっぱら北国方面を旅した。
愛用していた切符は「周遊券」だ。
エリアまでの往復とエリア内は急行まで乗り放題だ。
東京以西は、もう新幹線が中心だったから、急行などは走ってなく、夜行急行が走っていた北国が多くなった。

特に大好きだったのが、東北本線の「急行 八甲田」だ。

19時頃、上野駅を出発して、およそ11時間半かけて、翌朝、青森駅に着く。
「あおもーり あおもーり」と到着を伝える駅のアナウンスが頭の中に蘇る。
はじめて乗ったのは、ねぶた祭の前日の列車だったので、祭りに合わせて帰る人たちで、満席どころか、床に座ったり、二人がけの席に3人(通路側の人は通路に足を出す)座ったりしての11時間半の旅路になった。
私は昼からホームで並んでいたので窓側の席を確保できたが、青森県人の「なにがなんでも、ねぶた」には驚かされた。
ひとつ思い出せないのが、冷房が無かったような気がすることだ。
ひと晩中、窓を開けていたような気がしてならない。

このころは未だ青函トンネルが開通しておらず、北海道へ渡るには青函連絡船に乗らなければならなかった。
だいたい、特急や急行の到着に合わせて、連絡船が出航することになっていたようで、青森駅で何時間も待った覚えがない。
当時は、乗船名簿を提出しなければならず、すこし背筋が寒くなったのを覚えている。

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