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日記8/22 【イラク水滸伝】のルポを書く必要性

8月もあとわずかに9日間。

 夏休みの宿題は、最後の一週間に全てを費やして終わらせようとしてちょっと終わらなかったタイプの私にとっては、ほろ苦い記憶を思い出させる時期である。

 先月くらいまで円安だから、夏休みといいっても海外旅行なんていけないなと経済指標相手にぼやいてたら、円高が随分と進んでいていた今日この頃。

 代わりに、中々日本人ではいかない海外の土地を回る取材者やブロガーの記事を眺めて、人よりもちょっと珍しく良い体験をしたと思い込んだりする。
 彼らは私と違い、ある種文章とルポルタージュのプロである。
 人気著者やランキング上位のブロガーともなれば、私が思い浮かぶことすらしなかった場所や体験をしてきて、柔軟で上手いコメントを残し、それでいて読み手に寄り添って、まるで一緒にその旅行をしているような気分にさせてくれる。
 その手腕に倣うべく、片付け忘れてた本から一冊取り出してみる。

(本当は絶賛話題中の「100年の孤独」について書きたいけど、あれは昇華しきれないので、私の脳に摺りこまれるまでもう少し時間かかる)

「イラク水滸伝」高橋秀行



タイトルの付け方がすごい。
 分厚い厚みの本で、このタイトルで買おうと思う読者はおそらく

・イラクなど中東に興味がある
・水滸伝が好き

 のどちらかであろうけど、どう考えもそれは一般的な日本人の何パーセントにも満たないだろう。
 それでもヒットを飛ばしているのは、作者の前作までの評価や、それに興奮させられたブロガーや紹介者たちの上手い口コミによるものに他ならない。

 私はというと、イラクも水滸伝もマイナーな場所ルポも好きなので表紙買いした。
 後から作者名やら批評記事をみて、「あ、こういう紹介見てから買えばよかった」とよく分からない後悔をした。

 ひとまず、全くイラクも水滸伝も興味がない人でもこの日記は読めるように、紹介サイトの説明文をもってくる。

イラク水滸伝 - 文芸・小説 高野秀行(文春e-Books):電子書籍試し読み無料 - BOOK☆WALKER - (bookwalker.jp)

あらすじ・内容
水牛と共に生きる被差別民がもつ“循環共生”の叡智とは?
権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む
謎の巨大湿地帯〈アフワール〉
―――そこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。

中国四大奇書『水滸伝』は、悪政がはびこる宋代に町を追われた豪傑たちが湿地帯に集結し政府軍と戦う物語だが、世界史上には、このようなレジスタンス的な、あるいはアナーキー的な湿地帯がいくつも存在する。
ベトナム戦争時のメコンデルタ、イタリアのベニス、ルーマニアのドナウデルタ……イラクの湿地帯はその中でも最古にして、“現代最後のカオス”だ。

・謎の古代宗教を信奉する“絶対平和主義”のマンダ教徒たち
・フセイン軍に激しく抵抗した「湿地の王」、コミュニストの戦い
・水牛と共に生きる被差別民マアダンの「持続可能な」環境保全の叡智
・妻が二人いる訳とは?衝撃の民族誌的奇習「ゲッサ・ブ・ゲッサ」
・“くさや汁”のようなアフワールのソウルフード「マスムータ」 
・イスラム文化を逸脱した自由奔放なマーシュアラブ布をめぐる謎……etc.

想像をはるかに超えた“混沌と迷走”の旅が、今ここに始まる――
中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録が凝縮された
圧巻のノンフィクション大作、ついに誕生!

紹介サイトより引用

 イラクと水滸伝の雰囲気が上手くマッチングしないかもしれないが、歴史好きにはとても面白い旅行記だ。

 例えば、取材した人物が古代メソポタミア文明よりも更に古い宗教を話し、それどころかメソポタミアの人々を、今いる近所の人の悪口を言うように罵倒する。
 と思えば、90年代のイラク戦争の経験からアメリカを現代的な視点で嫌悪するし、しかし現実としては近隣の武装組織から金を巻き上げられる生活を送っている。
 景色も、1990年代の9.11から始まるイラク戦争の傷跡が古代遺跡、ユーフラテス川、街中にも残る。時代感覚が狂わされるとはこのことだ。

 いや中東での紛争はそれ以上に複雑だ。そこに現れるのが、作者が水滸伝の好漢に例えるレジスタンスたち。
 彼らは物語の人物かと思うほど一人一人癖が強く、意志が固く、それぞれの場で、カリスマ性や知恵や家柄など、様々な手段をもってゲリラ戦を行った。
 その最大の場として作者が取材を決めたのが、2つの大河に挟まれた古代文明発祥の地である巨大湿地帯、西洋の研究者が「エデンの園」「始まりの楽園」と称するアフワールである。

 ……と、ざっくり紹介したけれど。
 この本の面白さなんて、私程度の日記文章で伝わるわけもない。

 一流ルポライターが一流批評家から評価されて一流ブロガーが紹介するような一流セントラルドグマ(情報の流れ)のどこにも、私の文章が載る空白欄はない。
 あってもスプライシング(余計な情報を切るやつ)を受けるだけだ。
 どう考えても、一流の紹介文のほうが内容を魅力的に的確に伝えるし、そして本を読んでくれた方が面白い文章が書かれている。
 もし本当に本を薦めたいのなら、私がやるべきことは一流文章を引用して貼り付けて、最小限の説明をして終わることのみであろう。

 ……と、卑下する三流日記の作者だけれど。
 考えてみれば、世に面白きことは数あれど、誰かがそれを当たり前と思い、そして誰も発信しなければ、遠い誰かのもとに届くことはない。
 ある文化圏で流行っている本も、他の文化圏では作者名すら知られないことだって数多だ。
 丁度文庫版のでた「100年の孤独」だって、ノーベル文学賞作家の一大作で、現代文の教科書や百科事典の項目には必ず書いてあるくせに、文庫版以前に読んだ読者は一般的な日本人の何パーセントであっただろうか。

 つまり、「皆が紹介してるから」「既に高評価が当たり前な作品だから」と思い込み、感想の一つも漏らさないことこそ、作品を紹介する話で一番の失点だ。
 
 この作者もまた、世界史で必ず倣う地域であり、世界地図をみれば必ず目につく広大な土地でありながら、日本人の何パーセントも発音したことのない「アフワール」という地域を分厚い本を作る熱量で紹介したのだ。

 それを読んだ私がやるべきこともまた、へたくそなりの日記文学で、なにか知った知見を広めることではないだろうか。
 そもそもこんな場末の日記帳に、うまいプレゼンで本をブレイクさせるなど夢物語もいいところで。

 今を楽しく生きる。
 やれることをやる。
 それが水滸伝の好漢たちの心意気だ。
 彼らはきっと何かやってくれる。
 あるいは何もしないうちになんとかなる。

「イラク水滸伝」高野秀行

 私は水滸伝の好漢ではないにしろ、その心意気の一欠片くらいは借りよう。
 書きたいことを、記録に残したいことをここに示す。
 それが何かを生むかもしれないし、何も生まなくても悪いことじゃない。
 なによりこれは日記なのだ。

 まずは楽しみ、書き続けることが大事じゃないかと、最近全然投稿続かない自分を反省しながら今日の日記を締めくくった。 


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