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忘却と想起

   高齢になると直近の記憶から忘れていくということは知っていたが、今回の大学生活で何よりも実感したのがこれだ。

 あんなにしっかり覚えたのに、あの時あんなに感動したのに、暫くしてからいざ話そうとしたら、もう、あやふやである。記憶の器は「ざる」でできているに違いない。

 「継続は力なり」も深刻な言葉になってくる。

 毎日勉強できると、何事スムーズに進む。でも我々大人の学生には諸般の事情というものが存在し、しばらく遠ざかってしまうこともある。そうなると、再開した時の苦行ぶりは目も当てられない。以前の記憶どころか、勉強の仕方まで忘れていたりする。

 このことを自覚してから、どんなに時間が取れない時でも、とにかく「関りを切らさない」ことを心掛けた。
 次に読み始める場所に付箋をつけておく。常用しているシャープペンに芯を補充しておく。机の上に使う道具を揃えておく、など、1分でできること、頭を使わずにできることは実はいくらでもある。それだけでも立派な「継続」になり、これが意外と大きな「力」になっていることを知った。

 この忘れる悲しさと相反することで、思い出すことの驚きがある。

 恐らく40年ぶりに使ったんじゃないか?この言葉!

 という体験を何度もした。なんで、こんなこと覚えているんだろう。と不思議すぎて笑えてくる。(あ、どんな言葉思い出したんだったっけ?忘れちゃった・・・)
 英単語や古文単語もあったし、三角関数とか、因数分解とかもそうだ。しかも単語の活用や、方程式の解き方も覚えている。

 あの頃、「こんなこと覚えてなんになる!」と絶賛反抗期の文句たれで騒いでいたけれど、「はい!今役に立ちました、とても!」

 大人の学生になってみたら、過去の自分をほめてあげられるようになった。
 やりゃあいいんだろう!という反抗心から勉強していたように思うし、ちっとも能動的に学んだ記憶がない。
 でも、こんなに知識を定着させるために、どんなに頑張っていたのだろう。きっと繰り返し繰り返し何度も練習したり暗記したりしたんだろうな。

  頑張ってたんだね、自分。

 小っちゃくて細くて意地だけ張ってた自分の姿を思い出して
 ちょっと、ほろっとなった。


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