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書く習慣1ヶ月チャレンジ Day10 自分の好きなところ

自分の好きなところ。たくさんある。

すぐに思いついたのは、一人ひとりを見るところ楽観的なところだ。

1.一人ひとりを見る
人とはじめて知り合う時は、私からたくさん質問をする。その人の、名前、年齢、出身地、国籍、得意な事、好きなものなど、その時の状況に応じて聞けることは何でも聞く。
私は各々その人の持つ個性的な属性に関心を持っているので、その人間と属性を紐づけるをとても楽しむ。

知り合った人のことは、その属性と共に記憶に残す。そして簡単に忘れない。たまに、「よく私のそんな情報覚えているね」と言われたりするが、それは私の記憶力が良いのはもちろん、その人の持つその属性が極めて個性的だったことも理由としてあるだろう。

ユニークなものは記憶に残る。だから、紐付けは強固になる。
もしかすると、その人のことを忘れないようにするために、いろんなこと質問して、最も個性的な属性を引き出そうとしているのかもしれない。

一人ひとりの個性を見つけて尊重し、全員を同じに扱わないようにする。これは、私の好きなところのひとつである。

これのいいところは、レッテルを貼らないことである。
そもそも、一つの属性だけでその人を判断するには限界がある。例えば、日本人だから真面目だとか、北海道人だから寒さに強いとか、サッカー部だからモテるとか、もはやその本人とは何も関係がない。
多くの個性的な属性を掛け算で組み合わせて、その人をおおまかに記憶するのと同時に、一人ひとりの発言や行動を元に、唯一無二のその人を見るようにする。これをすると、人間の面白さが真に理解できるようになる。

人を個性のある一個人として捉える能力は、誰もが持っているものではない。特別な才能なので、私はこの能力が好きだ。もし同じ能力のある人は、自分のことを誇っていいと思う。

ただ、私のこの能力は、グループにとって最善のことよりも、個人のニーズや目標を最優先させようとしてしまう傾向がある。そこだけは、状況に応じて上手く判断を切り替えられるように注意しなければならない。

2.楽観的なところ
人から、よく明るいと言われる。確かに自分でもそう思う。
私には「死ぬこと以外かすり傷」という座右の銘があるので、めったなことでは落ち込まないし、くよくよしない。

この楽観的な考えを持っているということが、人生にとって本当にいいことかはよくわからない。ただ、今まで楽観:悲観=9:1くらいで生きてきて困った事がないので、おそらくこれからも大丈夫だろう。

とはいえ、私の楽観は何もしない状態のことではない。極力ベストを尽くした状態のことである。つまり、最初にたくさん悲観的に考えて、これ以上悲観的に考えられないくらい考え尽くした上で、「もうこれ以上考えたって仕方ない」状態の楽観である。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が、悲観し尽くしたあとの楽観という意味であるならば、私はこれを実践するようにしている。

当然、どれだけ自分なりに人事を尽くしていても、結果を見て「あのときこうしておけば良かった」と思うことはある。そういう時は人事を尽くしたという実績があるので、悲観的にはならない。「その時はそれがベストだと思っていたから仕方ない。今はじめて新しいことがわかったのでそれだけで進歩。次は同じ間違いを繰り返さないようにしよう。」と楽観的に捉え直す。

楽観、悲観は難しい言葉である。ある人の行動を見て、人によってはそれを楽観的と捉えたり、悲観的と捉えたりする。だから、私の楽観は、あくまで私自身の考え方の型の名前であり、人によっては私のことを悲観的な人というかもしれない。
しかし、それはあまり重要じゃない。私なりの楽観的な人生観は試行錯誤のなかで生まれたものであり、それを誇りに思っている。だから、私は自分の楽観が好きである。                               (書くのにかかった時間:50分)



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