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29.立山麻里の癒しの場所

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」
松本編

【今回の登場人物】
  立山麻里 白駒池居宅の管理者
  正木正雄 居酒屋とまりぎのマスター
  想井遣造 居酒屋とまりぎの客 麻里の相談相手
  石田信一 想井遣造の友人 ラガーマン
  滝谷七海 白駒地区地域包括支援センターの管理者
  甲斐修代 白駒池特養のケアマネジャー
 
心の安全基地のような居酒屋があるのはいい
だけどそのような店はなかなか見つけられない

    29.立山麻里の癒しの場所

 麻里は居酒屋「とまりぎ」の暖簾をくぐった。いつものように正木が暖かな笑顔で迎えてくれた。
 「マスター、今日想井さん来られるかな?」
 麻里は想井の連絡先をまだ聞いていなかった。
 「やりさんかい? どうやろうね~ いつもふらっと現れる風来坊やからなぁ~ 」
 「その風来坊さんは何の仕事してるんですか? 」
 麻里はビールを一飲みすると正木に聞いた。
 「なんやあんだけやりさんと話してたのに、知らんのかいな。」
 「うん。山小屋で働いてる風な。でも、東京にいるし。何してる人なんですか? 」
 薬師太郎の件があるものの、それとは別に麻里はなんとなく想井のことが気になる存在だったのだ。
 正木は焼き鳥を焼きながら返答した。
 「やりさんの本業はフリーのカメラマンやな。そやけどそれだけでは喰っていかれへんから、なんかバイトはしとるみたいやね。それと、恋生岳(れんしょうだけ)にある「山想小屋(さんそうごや)」にも写真撮影の傍ら手伝いに行ってるみたいやで。」
 「ああ、山のおばばがいる山小屋ですか? 」
 「そうそう、おばばがいる山小屋や。はい、お待ち。」
 正木は麻里に好物の焼き鳥を差し出した。
 「ということは、想井さん時間があるかな~ 」
 「時間がある? デートのお誘いかい? 」
 正木がにたっと笑った。
 麻里は少し顔を赤らめながら手を振って否定した。そして理由を説明した。
 「なんやそんな事かいな。まぁ風来坊やから行けるんとちゃうかな。」
 正木はそう言うと、麻里に2杯目のビールを渡した。
 「ところで、奥の部屋には誰かいるの?」
 麻里は人の気配がする奥座敷が気になった。
 「あ、ラガーマンの石田君と、立ちゃんのお友達の滝ちゃんがいてるよ。」
 「なんだ、滝ちゃん来てたのか。覗きにいこ。」
 そう言って麻里が立ち上がったとき、
 「あ、たっちゃん、ちょっとまってや。」
 正木が麻里を呼び止めた。
 「いまな、奥座敷はな、石やんと滝ちゃんがちょっとな… 」
 焼き鳥の煙に顔をしかめながら、正木は麻里に言った。
「え? なんですか? 」
 麻里には何のことか意味が理解できず、カウンター席に座りなおした。
 「まぁそのなんだ。ちょっとばかし二人の時間は必要やし、今たっちゃん入っていたら気まずいやろしな。」
 麻里にはまだ理解が出来なかった。石田信一と滝谷七海が二人で奥座敷で何かを話してる。
 麻里にとってはそれだけのことで、きっと相談事でもあるのだろうと思った。
 「なんかよくわかりませんけど、私、じゃあここで想井さんを待ってます。」
 麻里はしぶしぶカウンター席に座った。
 「たっちゃん、意外と、どんやな~」
 正木のその言葉に麻里の頭の上にまた??? が並んだ。
 「どん? どんって? 」
 麻里はきょとんとしている。
 そんな麻里に正木は返答に困った。

 その時だった。ガラガラガラ! っと派手に音を立てながら、甲斐修代が店に入ってきた。
 「マスター、ビール! 奥座敷空いてる~!? 」
 と、大声で言うと麻里の前を通って奥座敷に向かった。
 「あ、あ、あ! 」
 麻里が言葉にならない声を上げた。
 「なんだ、麻里ちゃんいたの? そんなところでマスターと遊んでないで奥座敷行こ! 今日は腹立つことあってさ! 」
 というと、修代は麻里の手を引っ張って奥座敷に入っていった。
 正木が呼び止める間もなかった。

 奥座敷に入ると二人用のテーブルの所に滝谷七海と石田信一が、甲斐修代の侵入に備えるかのように緊張した感じで座っていた。
 「な~んだ、ななちゃんにお地蔵さんもいたんだ! ね~、みんな聞いてよ~ ほんとにうちの介護主任たら腹が立つんだから! 」
 修代はフルスロットル状態だった。

 結局この日、想井は現れなかった。麻里は奥座敷から抜け出し、正木から連絡を取ってもらうことにした。
 正木にお願いして奥座敷に帰ると、なにやらとても盛り上がっていた。
 「麻里ちゃん、お地蔵さん、さすが凄いよ! 」
 修代が酔っぱらった勢いもあってか、興奮して声を上げた。
 「ラグビーワールドカップの開幕戦のチケット、6名分、取ってくれたんだって! 」
 「え? あ、そうなんですか? すごい! 」
 麻里は正直ラグビーのことはよくわからなかったが、ワールドカップの開幕戦ということはきっと簡単には手に入らないチケットなのだと思った。
 石田信一と滝谷七海は相変わらず2人席で、時々見つめあっているような感じだった。
 しかし、麻里はそんなことはわからず、賑やかな修代の仕草に圧倒されていた。

 立山麻里は担当ケアマネジャーの徳沢明香に薬師淳子からの要望を伝えた。
 明香は麻里と相談の上、ケアプランに反映させることにした。
 そのため、介護保険上では使えるサービスではないものの、ケアプランには太郎の希望として、故郷の松本市へ行くこと、さらなる目標として槍ヶ岳を目指す(登るとは書かなかった)ことを家族と相談の上付け加えた。
 サービス内容しか書かれていなかったケアプラン表が、介護保険上のサービスとは直接かかわらないものの、介護保険外のインフォーマルなことの利用も示され、「人の暮らし支援」っぽいケアプラン表になっていった。

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