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12.知らない者の視点

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」

【今回の登場人物】
   立山麻里 白駒池居宅の管理者
      正木正雄 居酒屋とまりぎのマスター
   想井   居酒屋とまりぎの客

12.知らない者の視点

専門職が当たり前と思っていることも、違う世界の人が見るとおかしいと思うかもしれません

 心が晴れない立山麻里は、家までの帰り道に必ず前を通る居酒屋「とまりぎ」の前で、まるで引き寄せられるかのようにその暖簾をくぐっていた。
 「いらっしゃい」
 マスターの正木正雄が明るく迎え入れてくれた。
 カウンター席には想井が座っていて、やさしい視線を麻里に送ってくれた。その視線に引き寄せられるように、麻里は想井の隣の席に来た。
 「座ってもいいですか?」
 「もちろん。」
 想井は椅子を後ろにずらし、麻里を座らせた。
 「マスターいつものお願い。」
 元気のない麻里の声に、正木は元気よく返事した。
 「今日は一人なんやね。何か悩み事? 」
 想井がふんわりと聞いてきた。
 そのふんわりさが麻里には心地よかった。何の抵抗もなくまだ知りあって間もない想井に心を開いた。
 「明日ね、ちょっと心が重くなる会議が入っちゃって今から気が重いの。」
 「そうなんや。上司からの𠮟責か、クレームの会議とか… 」
 想井は麻里に出された生ビールに自分のビールを当てて乾杯した。
 麻里はビールを一口飲むと、想井を見つめた。
 「わかります? 今回は利用者からのクレーム。認知症の人を介護している家族からなんか色々言われそうで。まぁ私の動きが悪かったからなんだけど。」
 想井はうんうんと頷いた。
 「なるほど。認知症かぁ~ 僕は認知症のことよくわからへんけど、介護する家族はほんま大変やと思うわ。一番大変なのは本人やろうけど。」
 今度は麻里がうんうんと頷いた。
 「そうよね。認知症の人本人が一番大変。そのことをどこまでわかってたのかな~ 」
 麻里は一杯目のビールを一気に飲み干した。
 麻里が想井に特に相談に乗ってと言ったわけではなかったのに、自然にそのような会話が続けられていた。
 「それで明日は、その認知症のご本人も来るの? 」
 その想井の言葉は麻里にとっては思いもしない言葉だったのだ。
 「ご本人ですか? 明日は専門職と家族との会議ですから… 」
 麻里の返答がたどたどしいものだったので、想井も戸惑った。
 「あ~ ごめんごめん。僕は認知症のことようわからへんから、専門職の人に口出すようなものでもあらへんし。」
 しかし意表を突かれたような想井の言葉に、麻里は忘れていた何かを感じた。
 「そうね。主人公は何と言っても認知症の人ご本人ですものね。想井さん、そうよね。」
 想井をぐっと見つめてきた麻里に、想井は少し顔を引き、頭をかいた。
 「いやその、何度も言うようやけど、僕には認知症の人のことはよくわからへんけど、もし僕が本人やったら、自分のこと話しあったり決められたりするのに、自分の気持ちも聞いてもらわれへんのかなってちょっと思っただけで。ごめんごめん、素人が余計なこと言いました! 」
想井が手を合わせて謝った。
 「想井さん凄い! そうよね。私どこかに認知症の人は理解できない人という思い込みがあって、その人がいなくてもその人の話を決めていくのが専門職って思っていたかも。ありがとう、想井さん! 」
 麻里は想井の手をぎゅっと握った。

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