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奇妙な話:親子

「あの光景が心霊現象だったら良い」と思うようなことが屡々ある。直視するにはあまりに痛ましい光景というか、胸を締め付けられるような情景というか――そういうことを目の当たりにしてしまうことが屡々ある。この挿話もそういった類のもの悲しい記憶を辿ったものである。

 これは私が中学生だったころのお話である。私が住んでいたマンションは学校の真正面に建っており、ちょっと通りに顔を出せばタバコを吸いに休憩している教師とばったりと顔を合わせてしまうほど、都合が良いのか悪いのか分からない場所にあった。築年数が新しく、幽霊が出るとかいう噂はさっぱりなかったが、真正面に建っている中学校自体の歴史は相応に古いものだった。

 その頃の私は剣道部の主将と部長を任されていたが、どれだけ力を注ごうと一向に強くならない部活動の雰囲気に辟易していた。副部長に稽古を任せてサボタージュするほどの不良部長だった。幽霊部員という言葉は珍しくもないが、幽霊部長という言葉はちょっと新しく、顧問の教師も若いこともあり、相当に手を焼いていたらしい。

 その日も部活動に励む気にならなかったので、部活動の顧問が目を光らせている中、校門から離れた石塀を乗り越えて脱出するという腹芸を遂げて、普段通りに家に帰るつもりだった。だが、校内にマンションの鍵を忘れてしまったらしく、どうしたものかと考えながらエントランスに入ったことを覚えている。

 季節がいつ頃だったのか記憶は定かではないが、シトシトとした雨が降っていたことだけは確かに思い出せる。エントランスには先客がいたからだ。そこには父と子らしき一組の人間がボウッとしたような顔つきで直立していた。父の手には雨傘が握られており、子の方は黄色い雨合羽を身に纏っていた。雨に濡れたのか全身から雫を滴らせていた。

「それほど大雨ではないはずなのにな」と思いながらも、彼らの横を通り過ぎようとした。だが、親子のの顔色を覗き込んで思わず足がすくんでしまった。それは今まで見たことのないほどの色をしていた。白でもなく、青でもない――何とも不気味な色をしていたのである。彼らは私の不躾な視線を気にする様子もなく、ただその場に直立しているばかりである。

 何だか、無性に怖くなってエントランスを飛び出した。もしかしたら、彼らも鍵を失くして途方に暮れていただけなのかもしれない。だが、あの顔色を見たら話しかける勇気は湧いてこなかった。私は学校の裏山の頂上にある友達の家に押し掛けて、その話をしたが「肝が小さいなぁ」と馬鹿にされてしまった。夕刻まで待って家に帰ると彼らは消えていた。

「あの光景が心霊現象だったら良い」と思うのは友人に馬鹿にされたからというわけではない。何というか、彼らの立ち姿には異様なものがあったからである。人生に落胆した者が見せる呆然とした表情、子どもの手を引く父親の姿はあまりに痛ましい様子だった。暗い感情が全身から靄となって霧散しているような感じである。「心中」という言葉を思い浮かべてしまうほどに悲壮感に満ちた立ち姿だった。

 厳密に言えば、これは怪談ではないし、彼らの正体が幽霊であると断ずることは出来ない。だが、あの悲しげな親子の姿を見たら幽霊だった方が幾分かましに思えてしまうのだ。私は雨が降る度に頭の隅で、彼ら親子のことを考えずにはいられない。彼らのもとに安らかな時間が訪れることを願うばかりである。

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