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奇妙な話:風呂場

「どうにも困ったことになっちゃたのよ」従妹のRちゃんが麦酒をぐびぐびと飲みながら言った。年始になると親族一同が祖母の家に集まることになっているのだが、このお話もそのような折に聞いたものである。これから新しい一年が始まるというのに、困った話を打ち明けようとするRちゃんに辟易しながらも、一応は聞いておいてやろうと思って仕方がなく傾聴することにした。「どうやら、質の悪い幽霊を新居に連れてきちゃったみたいなの」

 この手の話が唐突に語られることは私の親族の間では珍しくない。その日のお天気の話をするかのような手軽さで誰かが不意に語り始める。それに対する反応も実にあっさりとしたもので、大体の場合は「へえ、そうなんだ」で済まされてしまう。お祓いに行った方が良いとか、引っ越しをした方が良いなどという助言をする者はいない。だから、Rちゃんがはっきりと「困ったことになった」と言った時には多少の違和感を覚えたのも確かである。

「この前、新居を探すためにアパートの内見に行ったんだけど」とRちゃんは語り始めた。私は下戸なので炭酸飲料をぐびぐびやりながら聞く。私には霊感が全くないどころか、そういった類の存在を近づけさせない体質であるらしい。それは「特別な力」があるというわけではなく、単純に鈍感であるがゆえに憑かれないだけであるみたいだ。Rちゃんが私を選んで打ち明け話をしたのも、少なからず、そういった事情を汲んだのだろう。「ある物件のお風呂場に厄介な幽霊がいてねえ」

 従妹のRちゃんは面倒事に巻き込まれたくなくて、直ぐにその物件の内見を終わらせたようなのだが、困ったことに幽霊が付き纏って離れようとしないらしい。その年の春に看護学校を卒業して、就職先も決まった矢先のことで辟易していると彼女は語った。無論、私は「お祓いに行けよ」と勧めたのだが、暖簾に腕押しで一向に頷こうとしない。彼女曰く「厄介な幽霊には違いないが、怪我をしたわけでもないし面倒くさいだけ」とのことである。

 どうやら、「勘違いした同級生に付き纏われている」というくらいにしか彼女は感じ取っていないらしい。新生活に実害はないのかという問いにも、「時々、風呂場に立っているのを見るだけで――」としか答えない。私からすると充分に実害があるように思えるのだが、Rちゃんにとってはそれほどでもないらしい。全く、どちらが鈍感なのか分からない始末である。

「水場には幽霊が集まりやすいっていうものね。お兄ちゃんも物件を探す時はお風呂場には注意した方がいいよ」

 と彼女はため息をつきながら言ったが、そもそも、どのように対処したら良いのか皆目見当もつかないままでいる。Rちゃんは「引っ越したいから費用を工面するために協力して欲しい」とは言わなかった。どうやら、自力でどうにかするつもりらしい。それなら、どうして私に怪談まがいな打ち明け話をしたのか――。

「困ったことになった」と言いつつも、Rちゃんは具体的な打開策を講じようとしない。「それはもう、取り憑かれているということになるのではないか」とも思うが、私の方では何も言わないことにした。面倒事に巻き込まれたくはないし、厄介な幽霊を押し付けられても困るからである。触らぬ神に祟りなし、とも言うではないか。その後、彼女が風呂場の幽霊とどのようにして決着したのか知らない。或いは、まだ厄介な幽霊と同居しているのかもしれない。いずれにせよ、どうでもいい話であることのように感じる。

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