マガジンのカバー画像

水害被災地訪問

22
水害被災地の訪問報告とインタビューをまとめています ・令和5年7月豪雨災害、秋田市 ・令和5年6月豪雨災害、茨城県取手市双葉地区 ・令和2年7月豪雨災害、熊本県八代市坂本町
運営しているクリエイター

#令和2年7月豪雨

令和5年7月豪雨 秋田市での水害被害報告5(中通りでのインタビュー)

2023年7月19日から20日にかけ現地にて豪雨の状況をお聞きした内容を報告します。今回は秋田市中通・南通にお住まいの方にお聞きした浸水時のエピソードです。 「わたしは(道路沿いではなく)奥の方に居住していて、トイレとか排水がうまくいかなくて水を流しても流れていかずにたまる一方でした。そのうち便器から溢れてくるんじゃかないと心配になったのでビニールに水を入れて蓋して重しにしていました。それでトイレは、家に猫がいるもんで猫の尿取りシートを袋に入れてトイレができたのでよかったで

Vol.9-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”県職員のボランティア支援”

前回はEVの活用と「くるま」の確保についてお話ししました。今回は県職員の方々のボランティア支援と「くるま」を無償で貸し出す支援団体についてです。 県職員の方々のボランティア支援 「被災してから熊本県の職員さんが来られました。1週間来てくださったんです。」 「プライベートのボランティア活動だったので公用車は使えないんですね。だからといって職員さんのプライベート車で来られて、もしパンクして事故してしまっては困る。当時いろんなものが道路に散らばっていたので、わたしが使っていた

Vol.8-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “EVの活用と「くるま」の確保”

前回は球磨川氾濫が残したものについてお話ししました。今回はEVの活用と「くるま」の確保についてです。 EVの活用 「EV一台あるといろんなことに活用できますねと言ってますが、こういう状況になると電気が使えなくなるので、EVで電源にできるというのは、発電所並みの存在感を感じました。」 「EVからの充電といえばこんなエピソードがあります。日産がですね、電気が使えない当時“リーフ”を貸し出してくれてました。町のあちこちを回ってましたがオレンジ色のボディなのでよく目立つんです。

Vol.7-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “球磨川氾濫が残したもの”

前回はくるまとEVについてお話ししました。今回は球磨川氾濫が残したものについてです 球磨川氾濫が残したもの 「いろんな方の支援を受ける一方で、例えば災害があった大分県の日田市とか福岡の浅倉、あるいは佐賀の武雄・大町町、あるいは遠くは岡山の真備町とかあちこち行ってきていろんな方の話を聞きました。被災者同士の心のケアという目的もありましたけれども、自分たちは先に被災しているので、被災後どういう復旧をされているのかとか、どういう行政の支援制度があるかとか、そういったことを情報交

Vol.6-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “くるまとEV”

前回はボランティア支援とくるまの撤去についてお話ししました。今回はくるまとEVについてです。 くるまとEV 「町へ入れる道路はどこが通れるのか、お互いに情報共有しました。ところが通れるのは分かっても普段は通らない山道とか細い道しかなくて。当時わたしのくるまは水没してしまっていたので、いとこからくるまを借りたんですが、(普段は通らないような山道や細い道なので)やっぱり擦ってしまいました。それでも被災当初はそんな道を通らざるをえなかったですね。」 「それから、なんとか軽トラ

Vol.5-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “ボランティア支援とくるまの撤去”

前回は被災後の状況とボランティアの支援についてお話ししました。今回も引き続きボランティア支援とくるまの撤去についてです 熊本地震は経験していた、”地震と豪雨災害は別物” 「実はこの豪雨災害の前に、わたしたちは”熊本地震”という大きな災害を経験していたので、それなりに防災や災害後の流れという備えはもっていたつもりではあったんですが、地震と豪雨災害は全然別物だったなとか思いました。しかもこれまでは親族などで協力して復旧ができていたんですが、これだけ超高齢化社会になると親族も当

Vol.4-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “被災後とボランティア支援”

前回は発災当時”道の駅さかもと”での避難と救出の様子をお話ししました。今回は被災後の状況とボランティア支援についてです 被災と連絡手段の確保 「自分自身は被災当日の夕方になって避難所へ避難しました。ところがその翌日からも職場であるこの”道の駅坂本”にも自宅にも行けない状態でした。というのは道路が崩落しまして、この坂本地区は橋が4本流されたためこの地区に入ることができなかったですね。1906年に開通して一度もそんなことがなかった肥薩線の第一球磨川橋梁も流されてしまいました」

Vol.3-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “避難と救出の様子”

前回は道野さんのご自宅が浸水して垂直避難されたときのエピソードをお話ししました。今回は発災当時の”道の駅さかもと館”での避難と救出の様子です ”道の駅さかもと館”での避難と救出 「この”道の駅さかもと館”(発災)は朝4-5時だったので職員はだれもいませんでしたが、5人の方が雨宿りをしていたそうです。そのときに球磨川の本流の水が下流から上がってきました、対岸に強い流れがでましたので逆流がおきて下流から水が迫ってきたんです。(かなり危険な状況になっていたので)地元新聞配達の方

Vol.2-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “自宅への浸水と垂直避難”

前回は「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫」の概要をお話ししました。今回は道野さんのご自宅が浸水して垂直避難されたときのエピソードです。 午前5時 2回目の浸水 「夜半からの雨がおさまり午前4時台に床下浸水をして、水が引いたので泥だしをしていたら午前5時台に一気に水が上がってきて、どんと。それまで祖母や近所の方々からも"大雨がくるとここまで水に浸かる”と聞いていたので分かってきてその家に住んでいたので、大事なものは事前に高いところに置いていたけども、今回の2回目の浸水は一気に

「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー

「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」について、道の駅坂本 (熊本県八代市)の道野さまをインタビューで訪問しました。今回からそのインタビューの内容を連載していきます。 「令和2年7月豪雨」は全国で死者84名、行方不明者2名、住家の全半壊等9,628棟、住家浸水6,971棟など未曾有の被害をもたらした豪雨災害で、熊本県の球磨川流域でも河川の氾濫や土砂崩れなどを含む甚大な人的・物的被害が発生しています。 前線の活動が非常に活発だった7月4日から8日には、熊本県をはじめ、