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水害被災地訪問

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水害被災地の訪問報告とインタビューをまとめています ・令和5年7月豪雨災害、秋田市 ・令和5年6月豪雨災害、茨城県取手市双葉地区 ・令和2年7月豪雨災害、熊本県八代市坂本町
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#道の駅坂本

令和5年7月豪雨 秋田市での水害被害報告5(中通りでのインタビュー)

2023年7月19日から20日にかけ現地にて豪雨の状況をお聞きした内容を報告します。今回は秋田市中通・南通にお住まいの方にお聞きした浸水時のエピソードです。 「わたしは(道路沿いではなく)奥の方に居住していて、トイレとか排水がうまくいかなくて水を流しても流れていかずにたまる一方でした。そのうち便器から溢れてくるんじゃかないと心配になったのでビニールに水を入れて蓋して重しにしていました。それでトイレは、家に猫がいるもんで猫の尿取りシートを袋に入れてトイレができたのでよかったで

Vol.15-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー最終回 “水害はなくならない”

前回は“新生 道の駅”についてお話ししました。今回は水害はなくならないです 水害はなくならない 「災害が起きてもうすぐ3年になろうとしています。振り返ると被災直後とその2年後、そして今とは言うことも変わってくるんですよね。どんどん未来に向けてっていう気持ちにならざるをえないし、そういう区切りが一つひとつ出てくるんです。”3年経ったけどあの人も戻ってこないな。土地は更地になってるけど家も建て直さないんだな。”と町を通るたびに思いを馳せる。となると残された住人でやっていくしか

Vol.14-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫水害被害」インタビュー”新生 道の駅”

前回は“若い世代が活躍できるように”と 山と防災害でした。今回は”新生 道の駅”です ”新生 道の駅” 「この水害で道の駅坂本の建物は水没しました。安全性の面からも中に入ることはできず、ご覧の通り封鎖していまして、数年後に建て替えとなります。現在“道の駅坂本”としての営業は同じ敷地内のプレハブで、同じく水害で被災した町の商店の方々と軒を連ねて営業を続けていて再建に向けて歩み始めているところです。新生道の駅はどうあるべきか、単に“道の駅”が建て替えられ新しくなるだけにしては

Vol.13-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “若い世代が活躍できるように”、山と防災害

前回は伝承活動と新しいまちづくりについて説明しました。今回は“若い世代が活躍できるように”と山と防災害です。 若い世代が活躍できるように 町に残って活動されている若い女性がお二人いらっしゃって、そういう人たちが安全に将来も安心して暮らせるためにどんなことが必要なのか、改めて冷静に考えて検証してやっていくことは、5年後、10年後の子供たちの将来を考えたときにとても大切なことだと思っています。 例えば、全国の被災地は今どうなっているかとか、災害から5年経った被災地はどうなっ

Vol.12-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”伝承活動と新しいまちづくり”

前回は自助と共助、地名の由来についてお話ししました。今回は伝承活動と新しいまちづくりです 伝承活動 「東日本大震災以降、あの時どう動いたとか、どういうことがあったとかを語り部の方々が伝えていると思うので、ここでもそういう伝承活動をやっていかないといけない。道の駅でもそんな伝承のためのスペースをつくって伝えることを大切にしていきたい。それにこの上流ではJR肥薩線球磨川第一橋梁という、当時で112年になる歴史ある近代遺産が流されたんです。それをJR九州さんからお預かりしてどう

Vol.11-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”自助と共助”

前回は「想定外」に備えておくについてお話ししました。今回は自助と共助、地名の由来についてです 自助と共助 「道路が使えないことも想定するし、橋が流されたら渡れないということも想定しておく。“自助”ということを言われていますけど、100%の人ができるわけではないので、できる人が自助で備えておいてその備えを“共助”ということでみんなで助け合ってという流れを作っていく必要がある。地方であればあるほど少子高齢化でパワーが少ない、消防団さえもなかなか組織できないので外部の方に入って

Vol.10-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”「想定外」に備えておく”

前回は県職員の方々のボランティア支援とくるまを無償で貸し出す支援団体についてお話ししました。今回は「想定外」に備えておくです 「想定外」に備えておく 「これからでもそういう想定外とかどんどん起きてくるんじゃないかと心配しています。今まで災害に遭わなかったところで、もし今まで経験したことないレベルの災害がおきるとして人口が多いところだったらどうなるのか。地域温暖化や気候変動がおきていて、これまでにはなかった規模の災害がこれまでにない頻度で現実に起きていますし、これからは行政

Vol.9-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”県職員のボランティア支援”

前回はEVの活用と「くるま」の確保についてお話ししました。今回は県職員の方々のボランティア支援と「くるま」を無償で貸し出す支援団体についてです。 県職員の方々のボランティア支援 「被災してから熊本県の職員さんが来られました。1週間来てくださったんです。」 「プライベートのボランティア活動だったので公用車は使えないんですね。だからといって職員さんのプライベート車で来られて、もしパンクして事故してしまっては困る。当時いろんなものが道路に散らばっていたので、わたしが使っていた

Vol.8-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “EVの活用と「くるま」の確保”

前回は球磨川氾濫が残したものについてお話ししました。今回はEVの活用と「くるま」の確保についてです。 EVの活用 「EV一台あるといろんなことに活用できますねと言ってますが、こういう状況になると電気が使えなくなるので、EVで電源にできるというのは、発電所並みの存在感を感じました。」 「EVからの充電といえばこんなエピソードがあります。日産がですね、電気が使えない当時“リーフ”を貸し出してくれてました。町のあちこちを回ってましたがオレンジ色のボディなのでよく目立つんです。

Vol.7-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “球磨川氾濫が残したもの”

前回はくるまとEVについてお話ししました。今回は球磨川氾濫が残したものについてです 球磨川氾濫が残したもの 「いろんな方の支援を受ける一方で、例えば災害があった大分県の日田市とか福岡の浅倉、あるいは佐賀の武雄・大町町、あるいは遠くは岡山の真備町とかあちこち行ってきていろんな方の話を聞きました。被災者同士の心のケアという目的もありましたけれども、自分たちは先に被災しているので、被災後どういう復旧をされているのかとか、どういう行政の支援制度があるかとか、そういったことを情報交

Vol.6-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “くるまとEV”

前回はボランティア支援とくるまの撤去についてお話ししました。今回はくるまとEVについてです。 くるまとEV 「町へ入れる道路はどこが通れるのか、お互いに情報共有しました。ところが通れるのは分かっても普段は通らない山道とか細い道しかなくて。当時わたしのくるまは水没してしまっていたので、いとこからくるまを借りたんですが、(普段は通らないような山道や細い道なので)やっぱり擦ってしまいました。それでも被災当初はそんな道を通らざるをえなかったですね。」 「それから、なんとか軽トラ

Vol.5-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “ボランティア支援とくるまの撤去”

前回は被災後の状況とボランティアの支援についてお話ししました。今回も引き続きボランティア支援とくるまの撤去についてです 熊本地震は経験していた、”地震と豪雨災害は別物” 「実はこの豪雨災害の前に、わたしたちは”熊本地震”という大きな災害を経験していたので、それなりに防災や災害後の流れという備えはもっていたつもりではあったんですが、地震と豪雨災害は全然別物だったなとか思いました。しかもこれまでは親族などで協力して復旧ができていたんですが、これだけ超高齢化社会になると親族も当

Vol.4-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “被災後とボランティア支援”

前回は発災当時”道の駅さかもと”での避難と救出の様子をお話ししました。今回は被災後の状況とボランティア支援についてです 被災と連絡手段の確保 「自分自身は被災当日の夕方になって避難所へ避難しました。ところがその翌日からも職場であるこの”道の駅坂本”にも自宅にも行けない状態でした。というのは道路が崩落しまして、この坂本地区は橋が4本流されたためこの地区に入ることができなかったですね。1906年に開通して一度もそんなことがなかった肥薩線の第一球磨川橋梁も流されてしまいました」

Vol.3-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “避難と救出の様子”

前回は道野さんのご自宅が浸水して垂直避難されたときのエピソードをお話ししました。今回は発災当時の”道の駅さかもと館”での避難と救出の様子です ”道の駅さかもと館”での避難と救出 「この”道の駅さかもと館”(発災)は朝4-5時だったので職員はだれもいませんでしたが、5人の方が雨宿りをしていたそうです。そのときに球磨川の本流の水が下流から上がってきました、対岸に強い流れがでましたので逆流がおきて下流から水が迫ってきたんです。(かなり危険な状況になっていたので)地元新聞配達の方