セーブマネー
バンコクに入ってすぐの頃。
旅界のマスターヨーダに出会った。
その姿と立ち振る舞いから、どの徒党にも属していない、狼の匂いを感じた。マスターヨーダはジェダイに属しているので、マスターヨーダの狼版という事になる。
良かった事に、優しくしてもらい、バンコクでの節約術を教わる。
ここに船の停留所があって、36バーツ(日本円で144円)でちょっと高いけど乗る価値はある。餅米が安い。この屋台がうまくて安い。タバコは自分で巻け。何かもらったら自分もお返しをしろ。などなど知らない事から知っている事まで伝授された。知っている事を再度通知されるというのは非常に大切な事。ありがたい。
実際何か貰ったら何かあげなくちゃいけない。
そうやって世界のグループの中の輪に入る事ができる。
タバコに関しては自分で巻いたものを吸っていると、コイツWEEDをやっているのか、という目で見られるので市販のものを買うことにした。
このWEED、タイ人は全員やっているのかと思っていたが、タイ人ほどやらないみたい。少なくともドミトリーに泊まっているタイ人の中にはいなかったし、実際に聞くと、やっている人もいる、という答えだった。
WEED中毒になって、1人で自分の中の誰かと会話している中東人を見た。
キル、ファックを言いながら落語のように、人物が入れ替わっている。恐ろしや。
昼間のシラフの時も1人でブツブツ言っていたので、相当こわい。
もう一生シラフには戻れないのかもしれない。
マスターヨーダ、オン歳62歳。
実際、彼に教わった節約術で大きく心が軽くなった。ベトナムではカジノで負け、北から南に横断し、客引きにあい、お金を持っていかれた。昭和がどんな空気感だったか知らないが、それに似たものがあるのではないかと勝手に感じている。そのおかげでお金を多く払いすぎた。昭和恐ろしや。
恐れ慄いていた懐事情の中での節約術。
大変にありがたい。
セブンイレブンで買ってきた麺と粉末スープのみのモノを、ドミトリーの皿を使って食す。
食パン数キレ、バナナで一食分とする。
交通機関を使わずに1日4万歩ほど歩き、観光して汗をかく。
Tシャツは塩をふくが、かなり節約できてきた。
このサバイバル、ヨーロッパなど物価の高い場所でするものだと思っていたが、そうか別にタイでやってもいいのか。気づきを得た。
ドミトリーの皿は誰がどう使ったのかなんて分からない。使ったら自分で洗う。スポンジはもう一年は変えていないんじゃないかと思われるほどの使われようで異臭を放っている。
一度皿置き場にアリが沢山集っているのを見たが、見て見ぬふりをした。
順調に強くなってきている。
早くエピソード2のアナキンスカイウォーカーのようになりたい。
僕は、誰かをコントロールしようとしない、
長く生きている人が好きだ。
マスターヨーダも例外なくそうだった。
だが、時を重ねるにつれ、マスターヨーダからコントロールを感じはじめた。
自分は師匠だと言ったりする。
僕が生徒。
笑いながらだが。
他国の旅人にジョークで説明する感じで。
そのような状況、別に嫌いじゃないし、
うぃっす先輩!
みたいなのも出来るっちゃ出来るが
異国にまで来てなんで同族の上下関係味わないといけないんよ。という気持ちが浮上してきた。
でも節約術を教わったご恩もある。
共に酒を酌み交わす。
僕はここ最近、出会った日本人に自分の意見を突き通せない、という状況があったりした。それが悔しかったので、ヨーダとの会話では、自分の思った事を言おう。それに対して相手が同調しようが、そうは思わないという反応を見せようが、別に僕には関係ない。
自他の境界が徐々に構築されてきたのかもしれない。
この感情、英語が飛び交う中で自分の意見を伝えられない。という状況が続いた事も大きな要因かと思われる。
日本では、別に自分の意見や話を積極的に話す方ではなかった。
自分の意見をいつでも言える状態で、あえて話さないでいる事に何も感じていなかった。むしろ、そちらに美学を感じていたのかもしれない。かっこいいとすら思っていたのかもしれない。
だが異国にて外国人に自分の意見を、伝えられる言語力がない状態が長く続いた事によって、底にあった感情に火が付いた。
日本では、いつでも刀を抜ける状態に奢っていた。心の奥でこんな事を考えているけど、別に伝える必要はない。黙っていれば飲み会は終わるし、テキトーに先輩の話を聞いて、ただお酒を飲んでいればいい。
要は恐らく怠けていたのである。
刀を抜けるタイミングで抜かないのと、
刀を抜く事ができないのでは、心の持ちようがこんなにも違うんだ。という事を知った。
自分の気持ちを伝えられる場面では伝えよう。
異国の人々と戯れる中で、伝えたくても伝えられない場面が今まで多かったし、今後も多くなる。
相手が日本語で僕の意見を聞いて、かっこいいと思おうが、ダサいと思おうが、僕の人生には何の影響も及ばさない。
僕が何を考えて生きようが、他人には関係ないし、他人が何を考えて生きようが、僕には関係ない。
僕は日本語という世界一難しい言語を扱える。
道案内だってした事があるし、女の子を励ました事だってある。
そいつを使える場面では、思い切り使ってやるんだ。刀を抜いてやるんだ。
異国にて、その気持ちが芽生えてきた。
マスターヨーダは旅をして40年ほどになる。
ある時、
「いい景色に出会ったら、また旅に出たいと思うんだよ、だからお前もそういう景色を胸に刻んでいきなさい」と言われた。
また、「夜遊びは金がかかるぞぉ、そんなんじゃ旅続けていけないぞ〜」
と言われた。
もう、しなさい口調で言われるのも懲り懲りだった。言いたい事を言った。
確かに景色も大事で、景色も大好きだし、世界遺産もたくさん見たいと思う。だけど僕が今、本当に見たいと思っているものは、異国で今を生きる人々の姿。
僕が会社で息を切らしながら働いていた瞬間、世界の人々は何をして、何を考えて、生きていたんだろうか。
ベトナムでは、昼間に全員が昼寝をしているマーケットを見た。
結託してボッタクリにかかるバス停を見た。
高波に向かっていく欧米人を見た。
タオル一枚ビーチで、乳首が見えながら着替える欧米人の女性を見た。
故郷のベルギーだと殴られる格好をしているLGBTの外国人を見た。
確かに夜のカオサンロードを歩くとお金がかかるかもしれない。
しかし、カオサンロードNo.1のクラブで入場料が600円、ビールはコンビニで200円。
その金額を惜しんで、ここで出会った仲間たちと歩かないなんて、野暮がすぎるのではないか。
世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう
ブルーハーツはTRAIN TRAINでこう言っている。めちゃくちゃ辛かった時によく聴いていたので、この言葉が心に深く刻まれてしまった。
そう、僕は思う。どんなに偉大な世界遺産や景色よりも、そこに、今生きている1つの命に価値があると。
世界遺産も、もちろん見たいし、名所には出来る限り足を運んでいる。欲張りなので。
しかし僕が本当に見たい事は、今を生きる人々の姿、なるだけそれに関わっていく事。
それを伝えた。
マスターヨーダは、やはり賢者であり、ヨーダなのでそれに対して別に反論するでもなく、そうか。というような対応をとって、また別の議論を酌み交わす。
話をしてよかった。
長く旅を続けたいし、長く旅をすると友達にも言っているし、(そう言ってしまった、公言してしまったので)節約を今後も続けていく。削れる所では削っていく。
でも自分の中で、これは楽しいだろうと思われる場面では、散財していこうと思う。
自分が使うお金を何に集中させるかで人生決まってくるしかもしれないな、と薄々思っていたがやはりそうかもしれないと、また思う。
結論として、好きな女の子には、
100本ほどシューズを奢っていきたい。
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