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鮮やかな服

眠い。
今日も教会に行ってきた。
皆さんの服装が鮮やか。
鮮やかな赤、鮮やかな青、鮮やかな緑。
特に女性の華やかさには、羨ましさを覚える。
白、黒、グレーはあまり見なかった。男性はフォーマルなスーツを着用していた。

クリーニングに昨日出したようなシワ一つない服を着て、年齢に関係なくやっぱり着たい服を皆(女性たちが)、着ている。
着る物など、どうでも良いという価値観(旅によって)が定着してきていた僕に吹き込んでくる風。新しい風。これは、過去浴びた事のない風な気がする。
とりあえず、着たいもの着ようぜ。という大前提があるような気がする。
そして、着たいもの着て、自分のテンション高めていこうぜ。を感じる。
その為の、シワのない服かと思われる。
周りにどう思われるか、にそこまで重点を置いていないような、自分のテンションが上がればそれで良いよね。という感じを感じる。

テキトーなTシャツ、テキトーな半ズボンなどしか持っていない僕としては葛藤を抱える。僕もいい感じのシャツを纏って己の気分を上げたい。という気持ちになったりする。しかし、金銭的にそこまでの余力がない。我慢しよう。とりあえずアイロンだけ買って、服をシワシワじゃなくすだけでだいぶ変わるのは知ってる。

自分弱いな、と思う。周りを見て、大多数に合わせていこうとしてしまう。強固な自分など、今後ともに完成されずに僕は周りを見ながら生きていくことがほとんど確定されてしまった。面倒すぎる。これでいいのだ、という強固な価値観というか自分を持つ人に羨望を思う。座禅をしたい。

教会で10時30分から集会を行う。
教団に名前を呼ばれた人が上がり、何やらスピーチをはじめる。
今日は13歳の女の子が一番最初に登壇していた。
若干の照れを見せていたが、大人数の前で堂々と話していた。
日本語でも実践できるか怪しいので、僕としては大尊敬に値する。
とても立派だった。

その後、2人目、3人目と教団に上がりスピーチをしていく。
1人の女性は途中、涙を流して話していた。
聞き取れず悔しい。

その後、集会に来ているみんなで食事をとる。
教会の色々な人々と挨拶させていただいた。
宣教師のミラーに、モルモン書は読んだ?と聞かれたが、全く読んでおらず言葉に詰まってしまった。

どう思った?と聞かれる事が多い。
感想を言葉にするのが苦手な僕としては、すごいしか言えない時がある。
だがそれも甘えなのかもしれない。

感想に対してうまく答えられないのは、単に脳の瞬発力がないのもあるけれど、思っている事が本当に正解なのか。自分の思っている事が、今から発する言葉と一致するのか、そんな面倒くさい事を刹那考えてしまう。自分で言うのは大変恐縮ではあるのだけれど、なるべく真摯でいきたいと思っているのかもしれない。

最近は英語の単語を絵で覚えるようにしてみている。
Appleなら、「りんご」ではなく、Appleのあの赤くて丸い果物の絵を脳に想像する。

あ、みんなやっていますか。
自分だけがやっていると思って、大変に恥ずかしい。

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