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辛かった思いを今、言葉にすると

失意に終わった昨年度。公募戦線的にというのもあるけれど、そもそも着任した大学で上手く暮らしていけなかったことが悔しかったし、辛かった。自分が悪かった部分も多々あるだろうとは思う。でも、そんなの卑怯だって叫びたくなるような形で圧をかけられたこともあった。Zoomミーティングって閉鎖的で、一歩間違えれば誰にも知られず証拠も残らず苦しめられる場になり得るんだって、学んだ。パワハラだと思うことがあったとき、親には話せなかった。どれだけ悲しませるだろう、どれだけ心配をかけるだろうと思って。さすがにパートナーには話したけどね。全てが終わったあとに母に話したら、涙ぐんで、よく頑張ったねって言ってくれた。だから、多分私はよく耐えたし、よく頑張ったし、よく逃げたんだと思う。そう、よく逃げたんだ。例え常勤講師の職を手放して再び非常勤講師として公募戦線に戻ることになったとしても、それでもいいからと覚悟を決めて、よく逃げた。自分と家族を守ることを選んだ。それで良かったんだと思う。思うけれど、それでも「失意」という言葉を使わずにはいられない一年間だった。

地味にきつく、困っているのが、恩師に手を切られたこと。誰からどういう伝わり方をして前任校での話を聞いたのか分からないけれど、もう少なくともしばらくは私に関する推薦状は書けないと言われた。元々義理人情を大事にされる先生だから、一年で着任校を離れるような真似をしてはいけないと言われて、公募の多い時期に身動きができなかった(最低でも三年はいること、と言われたけれど、更新をしたところで三年以上前任校にいることはできない契約だったので話がそもそも通じなかったんだけど)。いざ大学を離れないと自分が壊れると判断した時には公募戦線は減少の時期に入っていたし、ろくに動ける心身の状態ではなくなっていた。同僚だった先生やかつてお世話になった非常勤先の先生に救われて何とか今年度も暮らしていけるだけの非常勤のコマ数を確保出来て、それを報告したときにされた反応は、「今年一年はコマ数を減らして心身を整えてほしかった」だった。もっと分かろうとしてほしかった。私が働かないとこの家族は回らなくなるということについて、分かってほしいとまでは言わない、でも分かろうとしてほしかった。私だって馬鹿じゃないし、不義理を働きたかったわけじゃない。何も考えずに、手に負えないんじゃないかと心配されるほどの、迷惑をかけるんじゃないかと心配されるほどのコマ数を請け負わないよ。そうせざるを得なかった事情を、理解してほしいと言うのは我儘かもしれないけれど、何かあったのかもと思い巡らせてほしかったな、と、少しだけ思う。もう甘えていてはいけないし、色んなことを恩師のせいにしていてはいけないのは分かっているつもりだ。それでも、今もふとした瞬間に過る苦しさとして、今言葉にしておかなければならないと感じている。

そろそろ今年の公募戦線も始まる。応募予定先が一つあるので、今はせっせと研究概要や教育への抱負を書いている。こんなのでいいのかなと不安になる。でも、自分なりに誠実に丁寧に書くことにして、それで縁があれば嬉しいことだし、もし無ければ、それはそれで仕方がないと思っている。数を打たなければ当たらないだろう。幸い、noteをはじめとした様々な場でヒントは得られる。先人の知恵を拝借しつつ、どうにか前を向いていけたなら。

辛かった思いを今、言葉にすると、こんなに長くなるんだな。どうかここをその墓場として、時に参ることで忘れ去ることなく、自分自身の未来への糧に出来たなら、それに越したことはないだろう。大丈夫。昨日より今日のほうが前に進んでいる。そう信じて、これからも。

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