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一日でも永くと願った日

昨日は、大事な人に家族で会いに行った。
昨日は、三連休初日。
首都高は、びっくりする程混んでいた。
そして、その先の東名高速もひどかった。
まず、事故が一件、落下物処理が一件、またその先で事故が二件発生していた。
ただでさえ混んでいる道路が、事故や落下物により、更に混んでいた。
大事な人というのは、義父の末の弟(叔父さん)だ。
数年前に癌に罹り、一時は良くなった。
一年前、義父達とゴルフを楽しんでいた。
それが、一年後、一週間前に義父が目にした弟は、びっくりする程、弱っていた。
先日、夫の実家へ行った時、
「もうあまり長くないのかもしれない」と、義父は寂しそうに言った。
「順番からしたら、次は私なんだが、まさか一番若い弟が先になってしまうかもしれんとは……」と、
目に涙を溜めながら義父は話した。
目の前の現実を受け入れるのが辛そうだった。

会いに行くなら、早いほうがいいね。
夫と話しをした。
家族で話して、叔父に連絡を取り、会いに行くことになった。
義父と義母を車に乗せ、うちは夫婦と子供、計五人で、叔父の家に向かった。
義父の家から、スムーズなら、一時間半で行ける距離が、今日は五時間もかかった。
持ち帰りのお寿司の受け取りの予約時間を車内から、
お店に電話をして、三回変更して遅らせてもらった。
それ程に道は混んでいた。
やっと、叔父の住む町に着いて、お寿司を受け取り、
家へと急いだ。
久しぶりにお会いした叔父さんは、にこやかに迎えてくれたけれど、リビングのソファに腰掛け、手の届く所へ杖を置いていた。
お顔はコケて、顔色もあまり良くなかった。
妊婦さんのように腹水が溜まり、足の浮腫がとにかく酷かった。
腹水の溜まったお腹がとても苦しくて外出も出来ず、眠る事もままならないようだった。
腹水を抜いてもらっても、三日後には、また同じように溜まってしまうらしかった。
叔父さんには、息子が二人いる。
末の息子さんは、結婚をし、他県で家庭を築いている。
お子さんも二人いて、叔父さんにとっては、二人の可愛い孫となる。
ご長男は、独身で、一人暮らしをしている。
週に数回、様子を見にやってくるらしい。
丁度、私達がお邪魔していた時にも、ご長男がやって来て、久しぶりにお会いすることが出来た。
ただ、家の中に叔母さんの姿はなかった。
叔母は数年前に交通事故に遭い、ずっと施設で暮らしていた。
意思の疎通はもう出来ない。
ずっと寝かされている状態なのだ。
叔父さんが、
「本当なら、私が見送ってやりたかったが、それが出来そうにない。そればかりか、私が先に逝くことになりそうだ」と言った。
それから、今は週に数回、ヘルパーさんが来てくれているけれど、もう出来る治療は無いと言われているらしい。
「息子達に迷惑を掛けるつもりはない。だから、あとは緩和ケアの病院へ入る事を考えている」と言った。
最期まで、立派な人だなと思った。
奥さんの居ない家のキッチンで、洗い物をしていた義母が、「女の人が居ない家庭は、大変ね」と寂しそうに言った。
「叔母さんでも居たらね、叔父さんのお世話も出来たでしょうにね」と言った。
どこでどう歯車が狂ってしまったのだろうか。
叔母さんが事故に遭った日から、叔父の家の全てが変わってしまった。
それを思うと、とても悲しくなった。
体調はあまり良くはなさそうだったけれど、
叔父は、食欲があまり無いと聞いていた割には、お寿司を意外と食べられた。
それから、義父や義母と昔の話しをとても楽しそうに嬉しそうに話していたのが、印象的で本当に良かったと心の底から思った。
昨日、会いに行けて本当に良かったと思った。
運命は変えられないのかもしれない。
人には寿命というものがあるのかもしれない。
けれど、最期まで納得した生き方が出来るなら、して欲しいと思った。
叔父に会って、そのように思った。
なるべく苦しまずに、一日でも永く生きていて欲しいと願う日になった。
帰って来てから、家族と話した。
「会いに行けて本当に良かったね」と。

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