見出し画像

懐かしい人たち

私は一人っ子で、大人の中で育ちました。
祖父母とも同居だった為、お年寄りや年代が上の方とお話しをすることが好きであり、得意です。

つぶやきにあげ、若いときに聴いていた
スピッツの「チェリー」を今日、改めて聴き、
思い出したことがあったので書いてみます。

私は21歳の時、足に痛みが出て、
東京タワーのすぐ近くの大学病院で、
股関節の持病の臼蓋形成不全症の痛みを取る為、
骨切り回転術という手術をし、丸一ヶ月寝たきり、入院をしました。

その一ヶ月間のお供だったのが、手鏡とスピッツの曲「チェリー」でした。
手鏡は数センチも体を起こすことを禁止されていた私が唯一、外の東京タワーを反射して見る為に使う道具でした。
チェリーは当時大好きな曲で、ずっとリピートして聴いていました。
丸二ヶ月の入院は病室が私の部屋のようになっていきました。
読むための雑誌を置き、伯母が持って来てくれた
かぎ針とアクリル毛糸(アクリルたわしを作っていました)が置いてありました。

それから、入院時、仲良くなった人たちがいました。
お隣りの病室からやってきて話して下さるおじさまは首のご病気で入院をされていました。
当時、私の入院していた病院には首の名医が整形外科にいらっしゃって、全国からその先生目当てで患者さんが来ていました。
おじさまも、そのお一人で神奈川県から来て、手術の為に入院をされていました。

同じ階の院内病棟を少し歩くと脳外科病棟です。
病室を覗くと、寝かされている患者さんに繋がれている点滴がまるでスパゲティーみたいだと思ったのを覚えています。
そのくらい、沢山の点滴をされていて、衝撃的だっのを覚えています。
ここでも、男性の入院患者さんとお話しをさせていただいたりしました。
最初に右の血管が破れて脳出血になられ、今度は左の血管が破れ脳出血とのこと。
今は良くなっておられたらいいなぁと切に願います。

階を変えて院内病棟を歩くと、今度は小児科病棟に入ります。
病室は入院している子のお部屋のようでした。
また、ベッドの上には溢れんばかりのぬいぐるみが置かれていました。
そのぬいぐるみたちは、入院の長さを物語るものでした。

私は入院時、二人部屋で、高山さんという首のご病気で入院されている女性と同室でした。
60代後半くらいの方だったと思います。
お子さんはおらず、優しいご主人様がいつもお見舞いにいらしていました。
その高山さんと良く、「入院闘病記を書いて出しましょうか?」
なんて話しながら笑い合っていました。
私の入院中、高山さんは手術を終え、ご退院されていきました。
そのあとに入られたのが、80代後半で、銀座で印刷会社を自営でされているおばあちゃまの谷口さんでした。お仕事を終わられると銀座から独身の息子さんが頻繁にお見舞いに来られていました。
谷口のおばあちゃんは足を骨折し入院をされていました。
私達の整形外科病棟は内臓の病気ではない為、面会時に好きな物を持って来てもらえます。
毎日のように面会に通ってきてくれた母と私にもいつも谷口さんの息子さんは美味しいものをくださいました。
梅園のあんみつなどを買って来ては、
「一緒に食べましょう!」とお裾分けしてくださいました。

あの日から26年が経ちました。
高山さんも谷口さんも、もうご健在ではないかもしれません。
でも、私の中ではいつもお二人は健在です。
楽しく笑い合った日々。
忘れません。
ずっと、私の色褪せない思い出です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?