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41暇話9・鉄道

上の画像は、福岡県・箱崎埠頭近辺で仕事を終えて、箱崎駅へ向かう途中で、広い運動公園を過ぎて、貨物線を跨線歩道橋で渡った時に見かけた光景である。コンテナが乗らない貨物車両と機関車が多く滞留していて壮観であった。種別や種類に付いては詳しくはないが、如何にも鉄の塊で力強く重量感のある姿を見るのは嫌いでは無い。姿だけではなく、発する全ての音もだ。鉄道が日本に導入されるまでの人力や牛馬、風が頼りの船舶の物流の仕組みから、先人達は、蒸気機関車を輸入し鉄道を近代化に寄与する事に注目して早急に整備した黎明期の鉄道は、明治政府が日本の近代化と発展を促した功績は素晴らしいと思う。
そんな鉄道に関して抱く私なりの感情を、記述する事にした。
私は決して、熱烈な【乗り鉄】【撮り鉄】のような鉄道ファンではなく、又、鉄道利用の旅を愛する者ではない。鉄道を利用した時に思い感じた事を、記述をしていきたい。

《機関車》
走行する姿は、【力】そのモノの塊を感じる。音・動き・形・起こす風圧等
の全てからだ。なによりも、でかい。何百tもの貨物を引っ張るのだからそれなりの重量と出力が無ければいけないので当然であろう。昨今では、最新の機関車を動かすに於いて、伝統的な職人運転技術に加えて、それを補佐する電脳技術の採用でますます安全で省エネルギーな【力】を発揮しているようだ。変わらない事は人が動かす最終決定を行っている事と、線路の上を走る事。動力源は、架線から取り入れる電気と化石燃料を燃やして内燃機で発生させる動力が有るのは周知であろうかと思う。以前は、化石燃料を燃やして水を温め、蒸気を発生させて動力を発生させていた蒸気機関車が、主力だった。上記を使用する仕組みは、陸海で使用する動力としては遺産となっている。下の二枚の画像は、京都鉄道博物館に展示してある機関車の二機。電気とディーゼル。両機種は既に現役から退いたのであろうか、現役で、貨物や客車を引く姿を見る事は無くなったようにも思う。そもそも客車を見ない。で、こうして見上げると、その大きさに驚きもする。

しかし、きれいに磨き込まれた機関車は、いただけない。稼働時の勇士そのままを展示して欲しかった。仕事着のままの足元が汚れ、煤をかぶった姿でないと。眺める私には、シーラカンスのアルコール漬けの標本と同様でしかなかった。

《電車》
下の画像は、新潟発秋田行き【特急・いなほ】。この日、前日夜に京都から新潟まで夜行高速バスで来て、秋田までこの特急を利用した。その日朝一番の、秋田行きの【特急・いなほ】だったと記憶する。羽越本線を日本海を進行方向左に見て北上するこの特急は、新潟~秋田間を4時間ほどかけたのではなかったであろうか。くねくねと曲線が多く、単線区間が有ったようの記憶する。帰路は天候不良で運休になっていて、秋田~東京間を高速夜行バスを利用した。【特急】と名がつけば座席の幅と間隔も余裕が有り、在来線の速達電車とは全く違う乗り心地を経験できる。しかし、特急料金は何とかならないであろうか?ますます、高速バスとの経済的負担と利便性を考えてしまうと不利だ。天候不良の線区が有れば、迂回ができない鉄道は運休という対策を講じるしかないのである。新潟まで夜行高速バスを利用し、新潟からはこの特急を利用する往復の経費分を考えてみた結果が、京都⇔秋田間は、自運転で軽トラックで往復する事を決意した要因でも有る。自運転で在来国道を中心に夜間を進めば、早く安く到達できる。

《新幹線》
京都~新横浜間を頻繁に利用する時期が有った。平日の新幹線の乗客の大半がビジネスマンで、あちこちで、ノートパソコンが開かれている。
何もせずに、ただ、移動の手段としての2時間強を過ごすのは少数の乗客。
この新幹線利用で、特別な経験が有る。品川~京都間を7時間かかった事。
中国・近畿地方の集中豪雨で、先行列車の遅延が後続列車まで重なり、浜松から徐行が始まり名古屋からは、少しも動かなくなった。曲線線区で停車した時は、車体全体が傾き、平常高速運転時には感じられないカントだと思った。そこは、進行方向右側に名神高速・彦根インターチェンジが見えていた。喫煙する私は、富士山を見る辺りで一服する為に喫煙室へ行くのが常。ブラック缶コーヒーと共に。なぜか、気持が落ち着く場所だ。狭い三人が利用すれば窮屈を感じる場所であるにもかかわらず。下の画像は、その喫煙室の小窓からの富士山。行きも帰りも、富士山はこの窓から眺めてるかなぁ~(笑)。

《駅と港》
日本と大陸が仲良しで、謂わば傀儡で繋がっていた頃、門司港駅は日本とお別れの最終駅であったようだ。駅舎内の設備では、そこかしこに歴史的設備が残っていて保存されている。命からがら、大陸から引き上げて幸運にも日本の土を踏める事のできた人々にとっては、最初に安堵できる駅だったのかもしれない。駅全体が、レトロ感が満タンで、昔に思いを馳せれば、兵隊を送る歓呼の声や別れの姿を、又、敗戦で打ちひしがれた苦労の末の引き上げ者の姿を古いニュース映画で見るが如く、セピア色で思う事ができる駅である。何人がこの駅に降り立ち外地に向い、何人の人が外地からこの駅に帰る事ができたのであろうか?そんな事を考えざるを得ない駅であった。
港に近い駅は多く有れど、大陸やその他の外地と結ばれて、兵隊・兵器・軍馬に加えて一般国民も渡る為の航路の有った他の駅にも、それらの駅には特別の歴史背景と趣が有るように思う。それを、負の趣とするかは、訪れた者だけの判断だ。京都府内では、舞鶴市内の駅がそうであるが、その面影や歴史的設備は残念ながら残ってはいない。

門司港駅の母屋。たぶん文化財指定されているのではなかったではあろうか。
周辺のレトロな街並みが珍しくてしばらく見学して散策をした。
汽笛ドーナツという店が有ったり、極めつけは、パンチパーマ発祥の店という理容店が有った。
説明には【帰り水】とある。この水道(水呑處)は、駅が開設された頃(大正3年=1914年)に設置されて、門司の美味しい水道水を供給し続けている。特に戦前の海外旅行帰国者をはじめ、終戦後の復員や引揚の人達が、安堵の気持ちで喉を潤した事から誰言うとなく
【帰り水】と呼ばれるようになった。と。

《駅と色合い》
新潟駅は、【新潟ブルース】の歌詞のとおり、「♩青い灯が灯る~~新潟駅よ~~♪」だと思った。下の画像は少し古いので、今はこの風景ではなかろう。私は、駅に色合いを感じる事がある。総じて、関西の大都会の駅は鋭い白。関東圏の大都会の駅の色は、黄色。と、いうようにだ。
広告看板の色合いの統一性は、協議の上であろうか?偶然の一致であろうか?新潟駅は青いのである。京都のように、街の看板の大きさや掲示方法と色彩に基準を定めて、行政が指導しているようでもなさそうだが、青が基調なのである。

新潟駅を見て、青を感じる。また、この駅前のバスターミナルの不思議を感じた。ロータリー式では無くて、バックでホームに付ける方式に珍風景を見た。

《変化する会話の訛り》とんでもない所に行った事がある。下の画像の駅。陸奥市川駅。八戸駅から一つ下って向こう。この駅の無人で暖房の無い待合室で1時間強、雪が降る極寒の中で堪えて列車を待った事がある。列車乗車にその待合室に集まったのは、私ともう一人だけだった。関西人はこんな時、見ず知らずの間でも一言二言の会話は生まれるのだが、青森南部では違うようだ。津軽でもそうだろうか?列車で遠くへ来て、優等列車以外に乗車すると、度々車内で交わされる会話のイントネーションに変化を感じる。関西圏でも、堺から南部と西宮から西部、福知山近辺から北部、大津から東部で若干のイントネーションが変化する。訛りが有るというのではないが、関西圏でも言葉使いの変化が有る。和歌山は例外的に方言と独特の発音が有るのは承知であろう。以前、博多から在来線利用して、京都まで戻った事が有る。博多→門司・門司→下関・下関→岩国・岩国→糸崎・糸崎→岡山・岡山→相生・相生→京都と乗り継いでみた。記憶では、乗り換えで向いのホームに停車中へ乗車する為に数歩を歩く他は、車内空席ガラガラのボックスシートに9時間程座り放しだったかもしれない。博多弁から広島弁、岡山弁と方言が聞こえて楽しかった。特に、女子高生が話す博多弁には癒されもした。博多弁は可愛い!!そんな在来線車内の言葉のやり取りは旅情を誘うモノであるし旅の楽しみでも有る。新幹線や速達性を重視した都市間移動の優等列車ではなかなか聞こえる言葉では無い。秋田駅から奥羽本線の八郎潟駅を利用した時の事、話しかけられて困った経験が有る。話しかけられた内容が意味不明だったから。その時は、にこやかにしていれば良いと、秋田県内の指導先某JA担当からの指導もあり、にこやかにしているとどんどんと話しかけられてますます困惑した。今更、理解できない旨を伝える事は出来なくなったからだ。結局、そのおばさんに対しては、八郎潟駅まで相槌だけで切り抜けたが・・・汗が出た(笑)。

《貨物列車》
日本の物流は、今ではトラック輸送が主力であるが、一昔前は、鉄道が主流であった事はご存知であろうかと思う。日本の道路網整備は遅れていて、半世紀前を見直せば、国土の脊柱のように供用開始しているだけの状態であった。その中で、速達性と確実性に優れた鉄道貨物輸送の役割は、日本経済の要でも有った。しかし、道路網が整備されて、先ず速達性の有利が崩され、次に直接ダイレクトに着地する確実性がトラックに奪い取られてしまった。
又、鉄道貨車輸送では、列車毎に行き先別に数度の編成組み換えの作業が生じるが、トラック輸送では、その作業は無く運ぶ物量は鉄道1編成に比べて微少量ではあるが、効率で有利で運賃も同価に近い。そんな、輸送手段を起業は見落とす事は無く、トラック輸送に転嫁するには期間を要しなかった。貨車手配の必要も無く、電話すれば即座に集荷に来て出発をする。近隣なら早くて当日、遅くても翌日到着が基本だ。で、少しでも効率を高め、速達性と荷主の利便性を高めようとコンテナ輸送という発想が生まれたと思うが、小口荷物の場合は、無駄が生まれてしまい、未だにその小口荷物の拠点間混載輸送方法と分配配送方法に関しては、大手輸送会社に退けを取る。
現に、JR貨物では、大手宅配業者の専用編成でダイヤを組んでいる高速貨物列車が有るようだ。例えば、私が北海道玉ねぎ5tを購入して、到着を自宅とすると、先ず、空コンテナを積んだトラックで集荷→発駅到着→列車積み替え→青函トンネル→日本海縦貫線→京都梅小路貨物駅→自宅までトラック配送となる。これを、トラックに置き換えると、トラックで集荷→小樽港→舞鶴港までフェリーで無人航送→自宅。フェリーは、小樽→舞鶴を21時間で完了する。=早い。

鉄道貨物の伸びしろは環境負荷が少なく取り組み方によっては持続可能で有益な事業であると言える事に尽きる。利用企業が、自製品の物流方法に関して速達性を求めない商品なら、観念を変じて持つ事を啓蒙できれば、大きく伸びしろは生まれると思うのであるが、その動きを実際にまだ私は見ていない。残念だ。

今回はここまで。


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