危険と煙草を呑みながら part6

もうどれくらい歩いたのだろう。2.3時間は歩き続けている気がする。硫黄の臭いが強くなってから時間が経つ。周りの人間によると、まだ火口にはつかないらしい。雨は降り続けていた。高度が上がったからか、風が強くなってきた。四方八方から、体を揺らしてしまうほどの風が吹いた。私は一生懸命に歩いた。泥水の上に釘でも打ち込むかのように、しっかりと足をつけた。あと少し歩いたら休憩しようと思いながら急な坂道を上り続けていた。最初にもらった懐中電灯は電池切れになり、使い物にならなくなっていた。前を歩く登山者のヘッドライトと懐中電灯を頼りながら、暗闇の中を進んでいた。一歩ずつ、確実に、山を登った。
 いつになったら青い炎をみることができるんだ。あと、どのくらい坂道を登ればいいんだろう。
イジェン火山の青い炎は火口でしか見ることができない。まず頂上に上って、そこから火口にくだらなければいけない。坂道を上っているということはまだ頂上にすら到着していないことを意味している。青い炎をみることができるのは、一日のうちで夜明け前の1時間のみ。今日は雨も降っているから、はやく火口を下らなければいけない。そう思って、無理をしつつ、歩くペースを上げていた。ただ、体にある異変が起き始めていた。
 頭痛がする。それに吐き気も…。
どうやら、ガスマスクをつけるタイミングを見誤ったらしい。火口につくまでガスマスクなんてつける必要が無いだろうと高を括っていたが、それは重大なミスだった。二酸化硫黄を吸い込んだことによる中毒症状がすでに始まっていた。私はリュックからガスマスクと保護メガネを取り出して装着した。息が切れていたため、酸欠になりそうだった。ハァ…ハァ…という荒い気遣いが骨伝導によって聴こえてくる。前を歩く人の背後について歩いた。そうでもしないと崖から落ちそうだった。道幅は狭く、道はぬかるんでいる。おまけに柵がない。ちょっとでも足を踏み外せば崖に落ちてしまい、死は免れない。崎嶇とした道を慎重に歩いた。
 どんなに危険な場所であっても手すりなどなかった。そのため、岩壁に手を押し当てて自分の体を支えなければいけなかった。雨に濡れた手で壁に触れると亜硫酸が手に染みた。一度、手袋を脱いで亜硫酸を拭きとってみたが、数分もしないうちに手は痛くなった。手袋やスボン、リュックにまで硫黄が染みついていたのである。そんなアドベンチャーチックなことをしていると、次第に我を忘れていった。ガイドとはぐれたことや雨がふっていること、さらには自分が山に登っていること自覚が意識から遠のいていった。無我の境地である。
 私は神仏に導かれるようにして、山を登っていた。実際に、時間が経っても、このときのことをうまく思い出せない。苦労したことは記憶に残っていても、道中でみた景色や気温、音など五感を通じて体に入ってきたはずの情報が頭からさっぱり抜け落ちている。いや、元から感覚が働いていなかったのかもしれない。そうやって、道なき道で奮闘していると、自分が崖を下っていることに気づいた。
ついに、火口だ。あとちょっと頑張ればブルーファイヤーを拝むことができる。ようやく、目標地点に近づいたことが自覚できた。しかし、周りを見渡してみると視界が晴れていた。日の出が始まった。空が漆黒から紺色に変わり懐中電灯がなくとも足元や左右の岩肌が見え始めた。叩くような強い雨脚も弱まり、煙雨になっていた。山頂から見える霧に覆われた火口は、美しくも自然の不気味さを感じさせるような姿をしていた。雲によって作られた額縁の中で、翡翠色の酸性湖とその周りにある硫黄の塊がちょうど補色関係であるかのように調和していた。その雄大さからなのか、下から歩いてくる硫黄の採取者が、自然の意のままに動かされている人形ように感じた。自然そのものが神であるとでも言わんばかりに、人間が矮小なものに思えた。
まだ、体調がしっかりと回復してなかったものの、他の観光客がマスクを外しているのをみて、私もそれにならった。大きく息をすって、呼吸を整えた。下にある湖まで行けばブルーファイヤーをみることができるだが、なんとなく見なくてもいいような気がしてきた。荘厳な山頂の景色に呆気に取られていた。そうしているうちに、時間はかなり経ってしまったようで時刻は5時を廻っていた。夜明けが来てしまっていたのである。その後に、ダメ元で火口に向かっていると、下から来た男にもう、ブルーファイヤーは見られなくなったよと言われた。しかし、それを聞いても不満はなかった。今、目の前にある幻想的な眺望が私の心を満たしていたのだと思う。科学では特定の目的をもって、実験や研究をしているときに偶然にも予期せぬ有益な情報を手に入れることをセレンディピティと言うらしい。炎を観ようと思ってきた火山だったが真に胸をうったのはまさかの頂からの眺めであった。旅のセレンディピティとでもいおうか。旅情がしみつき、さて帰ろうと思ったときにこれまで埋もれていた記憶が込み上げてきた。
俺はガイドやツアーメンバーと遭難しているんだ。
喉元を過ぎてようやく熱さを思い出した。このままでは帰れないかもしれないという懸念が徐々に私の胸を圧迫してきた。来た道を戻ろうとして、崖を上った。外していたガスマスクをもう一度装着した。険しい道を通っているためすぐに息が上がった。そのため、岩上のちいさな空間で休みながら進んでいた。2,3回目くらいの小休止をしたとき、偶然同じ場所にいた男に話しかけられた。褐色の肌をしていて、童顔だった。体よりも、一回り大きな水色のレインコート着ているからなのか、やけに幼く見える。彼もきつそうに呼吸していた。
 「今回の登山はいかれているよ。」
 「ガスはひどいし、雨も降ってる。そのせいで、俺はブルーファイヤーをみれなかったよ。」
 「僕もみれなかったよ。ところで、君は一人で来たのか?」
 「いや、本当は一緒に登っている人もガイドもいたけど、どっかではぐれてしまったんだ。これから探さないといけない。」
 「本当?実は僕もガイドとはぐれたんだ。もし、よかったら一緒に帰らない?君のガイドも探してあげるよ。」
 断る理由がなかったので、私はすぐにありがとうと言って彼と来た道を戻った。彼の名前はマテウス。ブラジル人だった。私と同じ学生だった。ブラジルの大学も現在休暇中であり、友人と一緒にインドネシアを訪れたとのことだった。我々は、急勾配な道にさしかかると、手を差し伸べ合って登った。私の方が体力がなくて、ペースが合わなかったものの、マテウスは私にペースを合わせてくれた。休みたいと思ったときは一緒に休み、険しい道を歩くときは冗談を交えながら励ましてくれた。
 「しんぺい、道が濡れているからこけないように気をつけてね。」
マテウスは滑りそうな道で肩を貸してくれた。逆に、彼がこけそうなときは私が支えた。片言英語を喋りながら、できる範囲で一生懸命に意思疎通を図った。デジャヴュだなと思った。ふと、ジャカルタで出会ったフアンのことを思いだした。彼とも言葉が完全に通じていたわけではなかった。でも、今回のように心は通じ合っていた。私はあることに気づいた。人は一定の危機的状況を共有したとき、人種や性、言語の違いを問わずに助け合う生き物だと。
 人間はポリス的動物である。
かのアリストレスはそういった。世界を見渡してみると争いがないとはいえない。人種や性、言語、宗教の違いはたくさんあるし、それらによって引き起こされる争いはある。様々な形をした共同体が世界中にある。でも、誰かと繋がっていたいとかどこかに所属したいといった、人の温もりを求める人間の欲求は万人に等しく与えられるのかもしれない。そうでないと、フアンやマテウスのような、出会ったばかりで言葉がしっかりと伝わらない人間とここまで助け合うことができないはずだ。
 胸の裡で感動しながら山道を急いだ。レインコートのフードが邪魔だと思って脱いだ。頭をぽつぽつと叩くような冷たい感触がない。雨がやんでいた。

 二人で助け合うこと一時間半。我々はようやくスタート地点に帰ることができた。肩を抱き合い、セルフィ―を撮った。いつかまた、どこかでと言って別れた。まだ、ツアーメンバーに再会できたわけではなかった。だが、最初にガスマスクをもらった場所に行くと、彼らを見つけることができた。レインコートを脱ぎ、ずぶ濡れになったリュックサックを肩から降ろした。休憩所の人から、飲み物をもらって一息つくと、机の上に散乱していたタオルを取り出して顔と手を拭いた。旅の疲れを取るようにして、しっかりと拭いた。手が完全に乾いたことを確認すると、ポケットからライターを取り出して煙草を吸った。柑子色に光る火種を見つめながら、大きく息を吸った。

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