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大学入試の「女子枠」に潜む”逆差別”意識――「機会均等」はどこへ?

 日本全体の約4割の国立大学が、入試に「女子枠」を導入済み、または導入する方針であるというニュースがありました。「女子枠」は主に女子の割合が少ない理系の学部に設けられ、「学生の多様性を確保する」のが狙いだということです。

 入試形式は現時点では「総合型」や「学校推薦型」の入試に限られ、一般選抜には適用されていないようです。おそらく、一定の合格枠を用意し、受験資格が「女子であること」などとするのでしょう。ここまで聞いただけでも、数多くの偽善・欺瞞・不見識が読み取れる、気持ちの悪い制度です。

 第一に、理系に男子が多くて何がいけないのでしょうか。確かに、大学の理系学部の男女比率は男子に大きく偏っています。一昔前は、理系大学出身の女性は「リケジョ」などと呼ばれ、それだけで珍しがられたものです。しかしながら、それは大学側が女子を排斥したのではなく、そもそもにおいて理系分野を志す女子が少なかったからに他なりません。

 仮に大学が「女子だから」という理由で入試を受けさせなかったり、配点に差をつけたりしていれば、それは明確な「差別」といえましょう。しかし、機会が均等に与えられ、結果として男女比に差が出てしまうことは、当然あり得ることです。厳正なる試験の結果、成績上位にたまたま男性が多かった。それだけの話です。これを「差別」とか「格差」とか言われてしまっては、女子と同じだけ努力して合格を勝ち取った男子学生があまりにも気の毒ではありませんか。

 大体、男女で秀でた能力が異なるのは少し考えればわかる現実です。どちらが良くてどちらが悪いというものでもなく、男女では身体や脳の構造が違うわけで、事実として異なるのですから仕方がありません。最近は「男女平等」の名の下に、そういった差異までもなんとかして埋め合わせようという風潮がありますが、そんなことをしても意味がなく、かえって争いや分断を生むことくらいわからないのでしょうか。私はこういう偽善が一番嫌いです。

 今回の「女子枠」のように、人間の個々の能力ではなく、女性や黒人といった属性に対して下駄を履かせ、格差を解消しようという運動を、欧米では「アファーマティブアクション」と言います。日本語で「積極的格差是正措置」というそうです。この運動の行き着く先が「クォーター制」です。つまり、例えば政治家であれば「男性:女性=5:5」とか「黒人を4割以上入れる」とか、属性に対して枠を分けてしまうものです。国立大学の「女子枠」は、アファーマティブアクションの第一歩といえる制度でしょう。

 しかし、この運動は、欧米において既に推し進められ、現在は多くの国で国民の反発に遭い、後退の流れができています。端的に言って「失敗」したのです。理由は先ほども申し上げましたが、かえって争いや分断・差別を生んでしまったからです。

 考えてもみてください。例えば医学部に「黒人枠」で下駄を履かされた黒人が入学したとします。本来の実力なら落とされてしまったかもしれないけど、黒人だったので入学できました。あなたは、そんな医者に診てもらいたいですか?私は嫌です。勿論、黒人にも一生懸命努力して医学部に入学した人もいるでしょう。しかし、それは客観的にはわかりません。どんなに秀才でも、黒人だったばっかりに、下駄を履かされたボンクラと同列視され、正当に評価されなくなってしまうような社会を、誰が望んでいるのでしょうか。

 大学の「女子枠」だって同じことです。今はまだ推薦枠だけなので大した影響はないかもしれない。しかしこれが「格差解消」の名の下にさらに広がればどうなるか。もはや論ずる必要もないでしょう。すると偽善者はこう言うかもしれません。「それは男性側の意見だろう。女性の苦しみは男性にはわからない」。しかし、私は「女子枠」で最終的に苦しむのは女性側の方だと確信しています。

 私は日本のフェミニストや欧米のアファーマティブアクションにこそ、強烈な差別意識があると感じます。つまり、「女性(黒人)は能力が低いから、努力するだけでは男性(白人)に追いつけない。だから点数に下駄を履かせて、結果を平等にしてあげなければならない」という意識が、彼らの思考の奥底にあるように思えてならないのです。

 欧米が既に失敗しているような運動に、周回遅れで突き進む必要はありません。日本において、男女の「機会の平等」はほぼ実現されていると私は思います。日本は古来より、一神教の欧米なんかよりも女性が活躍していた国です。『万葉集』には女性の歌が数多く載せられ、『源氏物語』は女性による長編物語では世界最古です。欧米が何もかも「進んでいる」という幻想は、いい加減捨ててほしいものです。

 最後に、LGBTについて言及しておきます。2023年6月、与野党ほとんどの議員が賛成して「LGBT理解増進法」が可決されました。この法律の悪口を言い始めると終わらないので書きませんが、東京大学をはじめ、多くの大学が「LGBTに配慮しよう」というキャンペーンを打ち出しています。もし仮に、心身ともに明らかな男性が「心は女性です」といって「女子枠」を利用しようとしたら、どうなるのでしょうか。

 大学やメディアが振りかざしてくるのは、聞き心地は良いが何も考えていない、不見識極まりない偽善です。そして多くの人がそれに騙され、結果的にどんなことが起こるか考えもしないで賛成してしまいます。日本人は今、「偽善病」に罹っていると私は思います。この病を治す方法は一つしかありません。私はこの文中で幾度か申し上げているように、大学やメディアの発信を鵜呑みにせず、「少し考え」てください。少しだけでも考えれば、こんな馬鹿げた考えには違和感を持つはずなのです。


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