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【一千文字評】ニューオーダー - 秩序化する暴力の段階的進化

『ニューオーダー』を1本見れば、様々な暴力のバリエーションを見ることができるだろう。

メキシコの気鋭ミシェル・フランコの新作は徹頭徹尾、暴力が充満した現代の寓話だ。
幸福そうな富裕層家庭の結婚式から始まり、唐突な暴力の介入。市民たちの鬱憤が爆発し起こる暴力的市民革命。そして新政権が生まれ、社会状況は変化していき…という話ではあるのだが、見ている間は細かい話はわからない。
描かれるのはその渦中にいる人々を支配する暴力についてだ。

そのため寓意性を高めた現代のおとぎ話のようでありながら実効的な暴力描写が続く。ただしホラー映画のように偏執的に暴力が描写され、それをおっかな楽しむ作品という訳でもない。それが主眼ではない。

描かれるのは、暴力の推移。段階的進化、とでも言おうか。
『《新秩序》ニューオーダー』という題名の通り、暴力がどうやって秩序化されていくかについての話だ。

まず初めに起こるのは市民たちの暴力革命であり、そこに論理はない。抑圧された鬱憤の発露。誰彼構わずブルジョワと見れば片っ端から殺していくという原初的な暴力の在り方だ。語弊を恐れずに言えば、不純物のないピュアな暴力と言える。混沌の中で嵐のように暴力が発動づる様はまさに地獄絵図。

それが一旦終息すると次なる暴力の段階がやってくる。人々はゲットーに押し込まれ、大雑把で例外は認めない規範の中での生活を強いられる。
ピュアな暴力より落ち着いているように一見は見えるが、これも確かな暴力の形だ。規律から逸脱したものは問答無用で射殺される。規律を守る者たちも常に怯えて生活をしているという意味では被暴力者だ。

一方で強制収容所という暴力の形も発動する。これは原初的な制度の名の下、暴力衝動を満たすための装置と考えていい。収容された人々はもはや人間扱いはされず、目的という名目の元で拷問やレイプなどの暴力が適応される。その暴力は多分に享楽とも結びつく。

そして秩序化された暴力の最終段階が処刑だ。
しっかりとした論理、手続きを踏んだ上で対象を殺害する。それまでの暴力に比べればまともな気がするが、果たしてそうだろうか。
正式な段階を踏んで事務的に殺す。
暴力の進化過程を見てきた我々にはそれも所詮は同じ暴力でしかなく、原初的な暴力に比べればむしろ不健全にすら感じる。

この映画の教訓は、暴力は暴力でしかないということだ。
そしてそれがメキシコの歴史だと暗に示されもする。


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