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ふりかけ論争から振り返る昭和の給食

昭和のおばちゃんが日々見聞きしたこと感じたことを昭和目線で独りごちます

ふりかけ論争はどうなったのか……
光陰矢の如しでもう遠い過去なのか
あまりにもどうでもいいことで 騒ぎすぎたと気づいたのか …

そういえば おばChannelが小学生の時
欠席すると 友達が給食のパンを届けてくれるというシステムがあった(この地域だけかも…)
だから休んだ日は家にいながらも 下校時刻がちかづくと ちょっとソワソワ 
 誰が届けてくれるのか…お手紙はついているだろうか…と

♪ピンポ~ン♪  きたきた
こたつに潜って玄関の母と友達の会話に耳をそばだてる 
「〇〇ちゃんがパン持ってきてくれたで~」と部屋に入ってくる母の手には新しい給食のパン…

こんなところ(我家)でお目にかかるとは

逆リゾラバ効果とでも言おうか
給食のお盆に乗っているときよりも 美味しそうに見える
実際 私の母はこの給食のパンのファンでパンが届くと軽く蒸してふわふわにして一緒に食べたものである

牛乳はびんだった

ストーブの上の金だらいで温めて冬はホットミルクを飲むことができた
男子は牛乳の紙蓋を集めて パッ とツバとともに息を吹きかけひっくり返すというコロナ禍では絶対認められないような遊びをしていた
我が家でも牛乳の蓋を駒にしてオセロを作るという 感心ながらも貧乏くさい遊びを姉妹でしていたことも思い出す

しかし今調べてみたら牛乳の蓋メルカリで なっなっなんと

580枚で51000円❗❗

なんてこった❗❗

放課後遅くに帰ろうとすると給食室にいたおっちゃん(用務員さん)が「牛乳いらんか?」と聞いてくれることがあった
牛乳びんは重いのだが 持って帰ると母がプリンを作ってくれるので  喜んで持って帰ったものである

そういえば学校給食のパンを持って帰って懲戒免職になっていた先生がいたなあ…捨てるよりいいんじゃないのか…
と独りごちるおばChannelであった



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