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封建制から郡県制へ

オヤジブログ怪気炎 vol.198
世界史気になるシリーズ 20

小学四年生になると習う(暗記させられる)のが、47都道府県の名前。こんなことをさせているから社会科が嫌いになるのかもしれないし、都道府県の名前くらい知っていていいんじゃないという考えもありましょう。
日本に都道府県が定められたのは、明治4年の廃藩置県(都はまだありませんが)。財政面で中央集権型の国家に変えることが急務だったのです。
世界史では中国の始皇帝が、封建制を郡県制に改めて国家の中央集権化を急速に押し進めました。法と官僚制を整えて、血縁関係から解き放たれた実力主義の人材登用を進めるためでした。始皇帝という人は皇帝とは言え、一人でいろいろなことを改革し、突っ走った人だとつくづく思います。日本で言うと織田信長に似た面を感じます。
今の日本も郡県制を引き継いでおり、国政と地方自治の関係性が話題になることも多いのですが、原則中央集権でしょう。中央集権であることの弊害は何か、行政単位を細分化し寄り身近な政治に変えていくことはどこまで可能なのか、考え続けてよいテーマだと思います。

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