娘が1度だけ「だいすき」と言ったとき

娘が2歳のころ、

コロナ禍の閉塞感もあって、夫婦の関係がかなり悪化していた。


夫は自室に引きこもり、私は週末ともなれば自宅から逃げるように、

娘を連れて一日中 外出した。


炎天下だろうと極寒の寒空だろうと、私は午前中には娘を連れだし、薄暗くなるころに帰宅した。朝、まだ家で遊びたいという娘を無理やりに連れ出し、夕方、そろそろ帰りたいという娘に、「まだ父ちゃん家で仕事したいから」と言って出先に引き留めた。


このころ私はめまいや持病の不整脈も悪化していて、外出先でも娘と笑顔で遊ぶことが難しかった。


私は自分が情けなかった。小さい娘を連れまわして、一緒に楽しく遊べるわけでもなく、いったい何をやっているのだろう。

公園では、パパ・ママと遊ぶ小さい子の姿がやたらと目についた。

こんな風に3人で遊べる日が、我が家に訪れるのだろうか。訪れないだろう。

極端に悲観的な思いにとらわれて、毎晩、眠りについた娘を見ながら、申し訳なさでやり切れなくなっていた。


ある週末、いつものように外出先の公園でお弁当を食べようとしたとき。

私はふがいなさが極まって、娘の前で急に涙を流してしまった。

きれいな秋晴れの静かな日で、公園には私たち二人以外はだれもいなかった。


何かきっかけがあったわけではないのにふと、お弁当の袋をほどきながら、娘への申し訳なさが堰を切ったようにあふれだした。おうちで遊びたいのに、連れ回してごめん。そんな状況を生んでごめん。


娘は驚いた様子で、しばらく私を見つめていた。

そして、「どこか痛いの?どうして痛いの?」と聞いた。

私は「ううん。ごめんね、すぐに泣き止むから」と告げた。


すると娘はしばらく考えてから、唐突に、


「ゆいちゃん(娘)はね、かあちゃん大好きだよ」と言った。


この頃2歳の娘は、「だいすき」ブーム。

「せんせい大好き!」「おじいちゃんだいすき!」「とうちゃんのことね、だいすきなんだー」身近な人に惜しみなく愛を伝えていた。

でも、私にだけは決して「大好き」とは言わなかった。

娘は赤ちゃんのころも決して私にだけは笑顔を見せなかったし、娘らしいな、育児あるあるかななんて興味深く思う反面、寂しくないといえば嘘だった。


その娘が、唐突に「かあちゃん大好き」というのだ。


私は驚きと戸惑いで反応できずにいた。

娘は続けてさらさらと話し始めた。


「かあちゃんがね、いつも、おでかけにつれていってくれるし。おさんぽにだってつれていってくれるし。おそとでいっしょにおべんとうたべてくれるし。」


娘は、私が「申し訳ない」と思っていたまさにその行動を、すべて羅列していった。


普段はほとんど単語で怒りや悲しみを伝えたり、ギャグを言ったりする娘が、こんなにも長く話すのを初めて聞いた。何かが乗りうつったのではないかと疑うほどに、そこには私の知らない娘がいた。


娘はこんなにも、私を見ていた。

そして娘がこう話すということはやはり、父ちゃんだけが部屋にひきこもっているという状況が「ふつうではない」ことに気づいていたのだ。


娘の思いに対する嬉しさ、感謝、ふがいなさがないまぜになった複雑な感情で、私は娘への約束通り泣き止むどころか、おえつが交じり始めてしまった。


娘はもう何も告げず、じっと私を見ていた。

娘が私に大好きと言ったのは、この1度きりだ。





そんなことがあってから、3年が経つ。

我が家の状況は、あのころと比べるとずいぶん穏やかになった。

私が出勤の土曜日は、夫と娘は二人でお出かけしたりもしている。



これでよかったのだろうし、私もうれしい。

娘にとって子ども時代はもう、父ちゃんも一緒に過ごした日々ということになっていくのだろう。


だけど、たった二人だけで毎週末を過ごしたあの日々。

娘が2~3歳のときのあの約2年間。

それは、多くは涙や心身の痛みとともにあったのだけど、

クマゼミの大合唱のなかをアイスを食べ歩きしたり、

だれもいない真冬の公園で、切り株の上でお料理ごっこしたり、

桜並木で樹液を集めて、アリの巣に強引に進呈したり、

外出先で必ず一度は大喧嘩してしまったことだったり、

外出先がなくて、自宅の駐車場で、車のなかでお弁当を食べたことだったり、

あの秋の日の、娘の珠玉の言葉だったり、


これらすべての日々は、娘の記憶からはもう消し去られてしまうんだなと思うと、

それがたまらなく寂しかったりもする。


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