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フィクションとしての子どもの絵
私はドラマや映画を観るとき、劇中の「子どもが描いた絵(という設定のもの)」が「本当に子どもが描いた絵か」ということが妙に気になってしまう。
あのリビングに貼られた「子どもの絵」は本当に、該当年齢の子どもが描いたものか、はたまた小道具として大人が子ども風の筆跡で描いて用意したのか。
多くの場合はおそらく後者で、線が不自然にゆがんでいる。実際の子供の絵はこんな風にはゆがまないでしょ、とひどくガッカリしてしまう。
子供の画力を冒涜しているようにすら感じてしまう。
俳優さんの演技や脚本がどんなに素晴らしくても、わずかな場面で映るかすかな絵が「エセ幼児画」だと、一気に興ざめしてしまうのだ。
自分でもこの性分をとても煩わしく思う。
しかしここ2〜3年、娘が絵をよく描くようになって、随分と考えが変わった。
やっぱりあれは大人が描けばよい気がしてきたのだ。
子どもが、ひと目見て「子どもらしい絵」と認定できる絵を描くことなんてない。
4分の1のイチョウ型太陽がさんさんと照り、青空にはモクモク雲が浮かび、2〜3人の子がお花畑でニコニコ遊ぶ図を描く日は待てども待てどもこない。
5歳の娘は昨日、「海藻を食べすぎたペンギンに『海藻なんてたべるな!!』と叱ったサメを、『そんなことで怒らないで』とたしなめるタコの図」を描いた。
その前の日は、「空が飛べるようになる魔法の薬を桜の木の下で大鍋で作っていたら、間違えてお弁当製造機になった」図を描いていた。(タイトル絵)
これらをドラマのリビングの壁に貼りでもすれば、視聴者は「なんの暗示が伏線か」と雑音にとらわれ、本筋を逸脱してしまう。
リアルならよいというものでもないのだ。
大切なのは受け手の認知の効率性と簡易性で、パッと見て違和感なくあ、それねと感じられなければならず、余剰分の情報があってはならない。
それにはやはり視聴者の平均年齢に近い大人が、大人なりの視点で「ザ・子どもの絵」を描くのが都合が良いのかもしれない。
あるいはこれこそAIの力を借りるのはどうだろう。膨大な幼児画のサンプルから、平均的な「子どもらしい絵」を抽象化してもらう。彼(AI)なら先入観もなく、子どもの力を冒涜することもなく、ドラマにふさわしい備品を用意してくれることだろう。
何にせよこの思考の転換は自分にとってはかなり革命的なものであり、
こんな気づきをもたらしてくれた娘の絵画の、その緻密な物語性にはとことん敬意を払いたい。
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