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#4. 最後の全日本インカレ4×100mR〜走ることが出来なかった予選、エースの代わりに走った決勝で何を思ったのか〜

こんにちは。
最近、夏のように暖かい日が続いていましたが、今週末から寒くなりそうで、冬へと一歩一歩近づいていますね。
日が落ちるのも早く、夜が長く感じます。

さて、今回は、最後の全カレの4×100mRについて、臼井が何を感じて何を思って走ったのかを書きたいと思います。
このレースは一生忘れることができないほど、さまざまな思いが募ったレースです。
よかったら最後まで読んでやってください。

全日本インカレ

大学に入ってからハムの肉離れを毎年しているのがトラウマで、最後の年ということもあり「絶対に肉離れだけはしないように」となかなか思い切ったレースができずに迎えた全日本インカレでした。

持ちタイムのおかげで個人種目の100mには出場させてもらえたものの、当時の走力では4継のメンバーに入れるかどうか際どいラインでした。
4継のメンバーに入る条件は一つ。
100mの予選で12”20を切ること。(確か)
(実際、何秒と言われていたのか忘れました。数字覚えるの苦手で…ごめんなさい。🙇‍♀️)

4継を走れるかどうかがかかった100mの予選。
タイムは12”37
4継に出場できないことが確定しました。

正直、レース内容はあまり覚えていません。
覚えているのは、自分の走りが全くできなかった悔しさと自分への失望です。
1回生の時と、怪我をしていた時を除いて、リレーメンバーから外されるのは初めてでした。

立命の成績のことを思うと、私が走るよりもじゅら(榎本樹羅)が走った方が良いということは明確だったので、納得はしていました。
でも、やっぱり、最後のインカレであいこ(壹岐あいこ)とバトンを繋ぐことができないのはとても悔しく、不甲斐なかったです。

4×100mR 予選

幅跳びとの兼ね合いでハードスケジュールだったじゅら。
個人種目に専念して欲しかった気持ちもあったので、余計に自分自身の力の無さに嫌気がさしました。

幅跳び試技の途中で抜けて4継に出場するじゅらの移動中に声をかけると「任せてください」の一言。
頼もしかったです。
かっこいいなって。
本来は私がその立場にいるべきなのに、そうなりたいと頑張っていたはずなのに、私は見守ることしかできませんでした。

観客席から見る4継は複雑でした。
なんであの場所に自分はいないんだろう。
なんで最後の年に自分はこんな所にいるんだろう。
なんで4継優勝という目標に向かってメンバーとして走ることができなかったんだろう。

答えは簡単でした。
私が遅いからです。

正直、見たくなかったです。
でも自業自得。
見なくちゃいけない。
現実を受け止めなくちゃいけない。
3年前の日本選手権リレーのように、自分の実力不足を受け入れながらレースを目に焼き付けました。

予選は無事に通過。
見ていて安心感のあるレースでした。
ただ、そこに自分がいないことだけが悔しかったです。

決勝前のアクシデント


決勝は予選の翌日でした。
しかし、ここでアクシデントが。

あいこの足が限界を迎えました。
ずっと痛めていた部分が悪化してしまったのです。

あいこは最後の最後まで走ることを諦めていませんでした。
100mも200mも4継も、最後まで立命のために戦おうとしていました。

そんなあいこを見て、私の色んな感情が溢れ出しました。

短短のスポーツ推薦として二人で立命を背負って戦わないといけないのに、4年間それができなくてごめんね。
4継も自分がちゃんと走れないせいで一人で引っ張らせてごめんね。
大きなプレッシャーを一人だけに背負わせてしまってごめんね。
最後まで一人で頑張らせてごめんね。

出てくる感情はあいこへの謝罪ばかりでした。

入学当時、描いていた立命ワンツーも4継優勝も、私の力不足で叶わなかった。
自分がもっともっと、速く走れたら、あいこがこんなに苦しい思いをすることはなっかたんじゃないのか。
一人だけに背負わせることはなかったんじゃないのか。
怪我をして限界まで無理することはなかったんじゃないのか。
笑って4年間を締めくくることができたんじゃないのか。

そう思っても過ぎてしまった過去は変えられません。
どんなに後悔しても私が不甲斐ない事実は変わりません。

だから、あいこの代わりに走ることになった4継で、あいこの代わりになれるように、今までの感謝と謝罪の意味を込めて、全力で走り切ろう。
そう決意しました。

4×100mR 決勝

いよいよ決勝を迎えます。

立命としては絶対的エースのあいこが出場できず、不調の臼井がアンカーを務める、とても頼りないオーダーになってしまいました。
応援する側がどう思っていたかはわかりませんが、あいこじゃないから…と全員が思っていたはずです。
だって私もそう思っていましたから。

召集前、みんなで円陣を組みます。
レース前、あいこと会話する最後の時間。

言葉はなくても、あいこの思いは伝わりました。
ギリギリまで頑張ってくれたあいこのためにも、今出せる全力以上の力を出し切ろう。
そう誓いました。

招集前最後の円陣

しかし、招集所で4人で最終確認をするとき、いつもそこにいるあいこがいなくて不安が隠しきれませんでした。
でもそれは他の3人も同じでしょう。
だから、最年長の私はそんなこと絶対に思ってはいけない。
でも不安は募る一方。

そんな時、一番落ち着いていたのはじゅらでした。
1回生2人にもしっかり声をかけてくれて、また頼もしい姿を見せてくれました。
こんな時まで後輩に助けられて情けないですね。
でも、そんな姿を見て、私の不安は解消されました。
じゅら、ありがとう。

招集所から移動して1人になった時、この4年間の出来事が走馬灯のように流れました。
辛い時も嬉しい時も、ずっと横にいたのはあいこでした。
そんなあいこと、このレースを一緒に走ることはできない。
ならば私にできることは一つ。
全力を尽くすことです。

そこからレースの記憶はあまりありません。
ただ覚えているのは、「あいこのために」それだけを思って走ったことと、今まで抑えられていた何かのリミッターが外れたことだけです。

結果は5位でした。
こんな時でも「あいこがいれば」と思ってしまいました。
アンカーが自分ではなく「あいこだったら」と。
それがあいこを追い詰めていたかもしれないのに。

このメンバーで5位は予想以上の結果でした。
私の走りが100mの予選のような走りだったら、もっと遅かったでしょう。
その時の走りは、その年1番の走りでした。
なんで今までこの走りができなかったのか、悔やんでも遅いですね。

全員がベストの走りをして掴んだ5位。
あいこにどう映ったかは本人にしかわかりません。

でも、この4人に任せてよかったと、あいこの代わりを私に託してよかったと、少しでもそう思ってくれていたら私は報われます。

手文字で「AIKO」

終わりに

いかがだったでしょうか。
私はこのレースを忘れることはないでしょう。
というより、忘れてはいけないレース。そんな気がします。

この記事を要約すると、あいこごめんありがとう、じゅら頼もしい、自分情けないといったところでしょうか🤔
この記事を書く前までは、あいこへの思いを書いたラブレター(ちょっと重い)になりそうだなと思っていたのですが、じゅらへのラブレターにもなりましたね。

もうこんな情けない思いはしたくないと思っていたのですが、社会人1年目はしっかり情けない思いをしてしまいました。

2年目はちゃんと輝けるように、あいこのライバルとして復活できるように、またあの頃のように争うことができるように、頑張ります。
待っててとは言わないけど期待しててほしいなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ちょっとばかし重たい内容でしたので、次回は明るいお話ができたらなと思います。

と、いうことで、次回は私の推しバンドであるGOOD ON THE REELについての愛を語ろうかなと。
陸上の話でもない上に(おそらくほとんどの人が)知らないバンドの話になってしまうので興味ない人も多いかと思いますが、中学生の頃から一筋のバンドなので熱く熱く愛を語ると思います。
次回もよかったら見てやってください。

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