黒人の魂の声

何年か前に訪れたニューオリンズは音楽の街である。ジャズと言えば大抵の人はニューオリンズを思い浮かべるだろう。私もそうだぅった。

憧れの音楽の街に着いた。民間人の宿で一息ついて、早速街に出た。

そこには有名なバーボンストリートがある。バーボンとはお酒のバーボンのことだ。このストリートは昼間から酒を飲んでも大丈夫。日本で言えば、「酔っぱらい通り」というところだろう。

アメリカはキリスト教の影響力が強く、お酒を屋外で飲んではいけない法律が各州で定められている。ましてや道端で酔っ払うことはご法度である。
映画の場面に出てくる下町や裏通りの酔っ払いは片手に紙袋を持っている。酒瓶を紙袋に入れているからだ。酒を飲むシーンでは紙袋の酒瓶を一口飲むという場面を見た人も多いだろう。

このバーボン通りは両側に店が立ち並びロックやジャズが朝から流れている。通りに向かってガンガンと歌声や曲をタレ流している。

気にいった店に入った。三、四人の黒人のバンドであったが一人の男がボーカルを兼ねていた。彼が歌っている時に、私の頬に涙が流れた。

黒人の奴隷の哀しみや怨みではないような気がした。

頬に伝わる涙は、私の心を穏やかにさせたからだ。その不思議な感覚を求めて、三回もステージを聞いた。

その都度さらりと涙がながれた。ステージが終わった時に彼と握手をした。ゴワゴワしたデカイ手だった。

彼は私が涙を流したのを知っていた。

暗い店内だから見えた訳では無いが、握手をした時に、「分かってるよ」と言う目をしたからだ。

小さな店のジャズを満喫して夜は飲みに行った。飲みながら、俺は「泣いちゃったよ」、とフウちゃんに話したら、彼女も「私も涙が出た」、と聞いて驚いた。
私の個人的な体験だろうと思っていたが、店の中の何人かは涙を流していたことになる。

彼はジャズの中で彼の魂を伝えていたのだろうか。

翌日はバーボン通りを横に入った地元お勧めの「ジャズ小屋」だ。文字通り古くからあって、日本の芝居小屋のような場所だ。蒸暑く湿気の多い小屋の中でジャズバンドが出てくる。暑さでボーッとしながら生の音で目を覚ます。まるで熱中症にならないためにジャズを聞き続ける戦いの小屋のようだった。

出てくるバンドは流石に上手い。

その夜は飲みながら大満足して盛り上がった。

三日目はステーキを食べることにした。その前にホテルで上品なジャズを聞いた。白人の女性で音楽大学の名前が売りだった。しかしこの地では誰も彼女のJAZZなんか聞く耳を持たない。彼女は大都会に戻って、どこかの有名ホテルのステージで歌った方が良い。

さてはて、もし私に音楽の才能があったら何を望むだろうか。地元のバーボン通りで歌い、まあ食うには困らないが、地元からは出ることができない。

そして自分の歌に涙を流してくれる客はいる、そんな人生をおくるのか。

あるいは、地元で有名なJAZZ小屋で歌い、観光客を酔わせる才能がある。そしていつかは都会に出る夢を抱く、人生をおくるのか。

はじめから音楽の才能を認められ、芸術大に進学する。才能があるが魂のない詩を歌い続けるのか。
 
いや待てよ。私は78歳だ。一体、どんな人生を歩んできたのかを問うべきだろうな。






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