自己像の理想が高すぎる

タイプ4の統合と退行について。


私はタイプ4だ。

間違いなくタイプ4だ。

正真正銘のタイプ4だ。

……とタイプ4ステレオタイプすぎて確信が強すぎる。


そしてなぜタイプ4の統合先にタイプ1があるかも今なら理解できる。

完璧な自己イメージの理想像を持っているからだ。

タイプ4は自分らしさに強いこだわりを持つ。

自己イメージがブレることを大いに嫌うのだ。


私は健全だった頃(メンタルがやられる前)はこだわりと主張の強い人だった。

「こうでないと嫌だ!」といつも思っていた。

具体的な事では、

・黒い髪の毛は自分を表現していない!髪染め禁止の校則は無くなるべきだ!

・嫌いな雰囲気の服は私のものじゃない!

・みんな私とはタメ口で話して!私は敬語で話し掛けられるようなキャラじゃないから!

・私のことはこのあだ名で呼んで!名字で呼ばれたりちゃん付けさん付けされたり呼び捨てされるのは嫌だ!

みたいな、「自分を見て抱かれるイメージ」にとことんこだわった。

それは自分の好みに忠実なものであり、他者から変だと言われようが「私のことだから他の人の気にすることじゃない」と思っていた。


小さい頃から外見や言葉遣いを決められるのが嫌で嫌でたまらなかった。「みんな同じ」も嫌だったし、価値観の基準を作られるのも嫌だった。


校則が死ぬほど嫌いで心の底から恨んでいた(校則から解放された今もだけど)。メイクやアクセサリーなど自分を着飾ることがわがまま扱いされるのも納得いかなかったし、髪染めもパーマも眉を整えるのもダメという「ありのままが大切」とされる価値観は「個性=理想像」という私の価値観に反しており受け入れられなかった。


面接で、どうして男性は「僕」、女性は「私」と一人称が決まっているのだろうと疑問に思った。それに従わず「俺」と言う人や「うち」と言う人が悪く見られる理由も全く理解できなかった。

確かに、暴言や命令口調は他人を不快にさせるから良くないけど、一人称が僕や私でなかったり方言や若者言葉を使うことが無礼に当たると言う人の不快な心理が全く理解できなかった。今でもそれは「型にとらわれているだけで本当は不快に思ってないんじゃない?」と思ってしまう。それほど「基準を作ることで満足する人」の気持ちが分からない。


そしてタイプ4の退行先がタイプ2なのは、自分を控え目にして他者を優先させるという独自性の退行を意味しているのではないかと想像できる。


私は「個性を主張するのはわがままで良くないことだ」という価値観の元育ったため、昔ほど主張しようという気にはなれない。

それにはタイプ2の「自分を犠牲にして他者のために動く」という心理と似たようなもので、理想(タイプ1)を我慢して妥協(タイプ2)することが多い。

そうやって、本当に望むものを手に入れられなくなったことでタイプ4の私は精神的にダメージを受けたのだと思う。


タイプ4の統合・退行とは、自己イメージの理想を追い求められる状態を「統合」と言い、他人を気にして自分を抑える状態を「退行」と言うのだと思う。


私は統合と退行どちらも体験した。


タイプ4が健全な状態を保つためには、自分を抑えて周りに合わせるというような環境をなるべく避け、理想通りの自分でいられる場所を見つけることが最も重要ではないか。


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