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会社が嫌いな人へ、「静かな退職」で大逆転しろ!!!〜社内ニートのススメ〜

 世の中のサラリーマンのうち、仕事が楽しくて通勤している人間はどれくらいいるだろう。もちろん中には仕事で成し遂げたい事がある人や、周囲の人間関係が良好で幸福感を持っている人もいる。しかし、圧倒的多数はイヤイヤ通っている人が多いのではないか。FIREの話が流行する背景にはこうしたサラリーマンの苦悩がある。FIREが示すものは、経済的不安さえ解消すれば人は会社などには行かないということだ。会社は病院に似ている。経済難という「病気」を治すために通勤しているのであって、「病気」が治れば行くことはない。

 とはいえサラリーマンの多くは会社をやめるという選択肢はないだろう。日本の大企業はぬるま湯で、福利厚生も手厚い。そして、一度レールから脱線すると容易には戻ることができない。仮に転職しても同じ会社員である限り同じことの繰り返しになるかもしれない。その上サラリーマンという業界は転職は原則としてマイナスである。多くの人間は出世と給与水準を犠牲にして、格下の会社に「よそ者」として転職するのである。

 こうした地獄から抜け出すには頭を使う必要がある。眼の前の問題解決とは異質な柔軟な頭だ。チェス盤をひっくり返す大胆な発想があなたを救うのである。 

日本型雇用へのライフハック

 日本型雇用の良いところはどこだろう。それは社員が容易にはクビにならないことだ。仕事ができなくても滅多なことでは辞めさせられない。不正行為か遅刻欠席程度だ。ということは、日本企業においては無能ほど得することになる。働きが悪い人間であっても会社が生活を保証してくれる。正社員は会社から生活保護をもらうことができるのだ。

 同様に賃金に関しても言える。適当に働いていても、同期とは大して差がつかない。これは自営業者との大きな違いだ。野球選手は同じチームに年収5億円の選手と500万円の選手がいるが、サラリーマンには起こり得ない。年収1000万円の出世株の同期と年収800万円のうだつの上がらない同期が200万というちっぽけな差を巡って競争しているのだ。サラリーマンの賃金差は純然たる所得格差というより「賞状」の役割に近い。彼らは金ではなく名誉のために頑張っているのである。

 こうなると、サラリーマンは徹底してサボったほうが合理的である。どうしても出世したいとか、仕事が面白くて仕方がないという人は頑張ってほしいが。だが、そうでない一般人、特に身体と心を壊す寸前の人はサボった方がいい。会社に搾取される側から、搾取する側に回ろう。世の中は厳しい。雇用関係ではなぜか「会社側の方がエラい」という価値観が蔓延しているが、本来は労使は台頭なはずだ。会社があなたの健康を害すなら、あなたも会社に負担をかけて利益を追求しても問題ない。お人好しは損をする。人生で最も大切なものは健康であり、肩書や隣の席の同僚ではないだろう。

「どうでもいい人」との人間関係で病むな!!

 サラリーマンの仕事の悩みで一番多いものは何か。仕事内容ではない。業務量でもない。低賃金でもない。それは「人間関係」だ。会社の人間関係によって多くの人間は疲労していく。パワハラ・モラハラはもちろん、嫌いな同僚がいるとか、上司とそりが合わないという理由でどんどん病んでいく人がいる。会社の人間関係のストレス度はそれ以外のどの環境よりも高いようだ。

 しかし、発想を転換しよう。会社の人間関係はあなたにとって本当に大切だろうか。家族や友人と比べて本当にあなたに価値を提供しているだろうか。会社の人と話しているひとときが生きがいだというのなら、私はそれを大いに肯定したい。しかし、そうでない人のほうが圧倒的に多いように見える。部下が上司にヘコヘコするのは肩書がエラいからであって、その人自身になにかの価値を見出しているわけではない。会社の人間は友達ではない。これは肝に銘じておくべき鉄則だ。あなたが給料のために仕方なく会社に通っているのと同じく、同僚があなたと関わるのは「仕方ない」からなのだ。

 友人との付き合いは長い。学校を卒業して何年も立っても、人間の繋がりは続いていく。私の祖母は70歳を過ぎてから高校の同窓会に頻繁に顔を出すようになり、毎月のように旅行に行っていた。祖母が高校に在籍していたのは1950年代のことだ。まだテレビも新幹線もなく、日本が貧しい途上国だった時代のことである。交友関係がいかに価値あるものか、私は痛感した。

 一方の会社はどうだろう。あなたは退職した同僚に会いに行ったことがあるだろうか。定年した上司に会いに行ったことがあるだろうか。残念ながら、会社の人間関係はその瞬間切れてしまうことのほうが多い。とてつもないエネルギーを投入しているのにもかかわらず、このザマだ。人間関係に配慮するのなら、もっと楽しくて長続きする人間に投資しよう。

 要するに、サラリーマンはどうでもいい人との人間関係によってすり潰されているのである。会社の同僚に配慮して家族を犠牲にするくらいなら、家族を優先して同僚に嫌われよう。あなたが65歳で定年退職する時、あなたに付いてきてくれるのはどちらになるか冷静に考えよう。

「役に立たなきゃ自分の価値がない」と思っていませんか? 

 多くのサラリーマンを苦しめるのは「役に立たなきゃ自分の価値がない」という思い込みだ。「静かな退職」を成功させたいあなたは必ずこの刷り込みから自由になる必要がある。

 サラリーマンという集団はどうしても生産性で物事を測る傾向がある。利益を上げるために集団に在籍しているのだから、当然だ。中には「休むのも仕事のうち」などと豪語する人もいる。もちろんあなたが仕事でやりたいことがあって頑張っているのなら、全力で応援しよう。しかし、そうでないあなたに関しては違う。こうした刷り込みは会社が被用者に同調圧力を掛けるために生み出したもので、あなたの幸福とは相反する。

 「人間の価値が生産性で測られる」というのは考え方によっては生命への冒涜だ。生産性が低い人間には生きる価値がないのだろうか。何年か前に同様の動機で障害者施設で45人を殺傷した死刑囚がいたが、彼の思想は肯定されるべきだろうか。いや、違うだろう。人は生きているだけで価値がある存在だ。限られた生と限られた能力の中でいかに幸福に人生をまっとうするかだ。あなたの人生の価値を決めるのはあなた自身であり、間違っても会社ではない。

 「静かな退職」を選んだあなたは時たま周囲の目が気になるかもしれない。中には会社への貢献度が低いあなたを蔑む人もいるだろう。しかし、そんな人の価値観を受け入れるのはやめよう。 

会社以外の人生を作れ!!

 自分自身の人生を生きるのなら、会社という集団にはあまり関わらない方がいい。それよりも自分の人生を生きるほうが大切だ。

 日本のサラリーマンが苦しむのは会社に対する関与の度合いが大きすぎてそれ以外の価値観を見失ってしまうことになる。60歳になってからは遅いのだ。今から行動を起こす必要がある。

 会社でしばしば言われるのは「代わりはいくらでもいる」というフレーズだ。確かにその通りである。会社組織においては社長ですら替えの効く存在だ。ましてや一般社員など備品のプリンターと同じ存在である。あなたはこれを悲観するのではなく、逆手に取るべきだ。替えがいくらでも効くのなら、サボっても問題ないのである。

 会社以外の人生はあなたを豊かにしてくれる。特に65歳以降も続けたいと思える何かを手に入れることは大事だ。その筆頭は家族である。中には仕事上の地位を根拠とし形成された夫婦いるが、彼らは熟年離婚や別居を経験することが多い。これでは何のための家族なのか。真に大切な家族とは引退後もかけがいがないと思える家族であり、社会経済上の地位を根拠とした脆い家族関係は改めよう!

 他にも友人や趣味は大切だ。こうした繋がりは人生の目的となるだけでなく、あなたに新しい刺激を提供してくれる。会社の人間よりも友人から得る情報はかなり価値が大きいだろう。新しいことに興味を持ったり、大声で笑い合ったりという関係は非常に楽しいものだ。素朴な「楽しい」という感情を大切にしていこう。

気にせず休んで自分の人生を生きろ!!

 「静かな退職」のメリットはとにかく休みが取りやすいことだ。同僚の目を気にして無意味な労働時間で時間をドブに捨てている人間がなんと多いことか。社内ニートを決め込んでしまえば、こうした制約からは解放される。きちんと会社に与えられた休暇をフルで消化し、豊かな活動に当てよう。

 サラリーマンにとって余暇はダイヤモンドだ。1日2日という日数であってもその価値は計り知れない。しかし、その価値を損なっているのが長時間労働だ。出世を気にしたり、同僚の目を気にしてあなたはダイヤモンドをゴミ箱に捨てているのである。

 周囲の同調圧力によって休みにくくなる雰囲気はよく分かる。「自分はこんなに苦労しているのに、アイツは楽している」と。しかし、あなたの陰口を叩く同僚は果たして美しい存在だろうか。私にはこうした人物は非常に後ろ向きに見える。病気の人が「オレは苦労しているから、お前も病気になれ!!」と言っているのと何が違うのか。彼らがキリストのように病人の苦しみに心から共感し、分かち合おうとする人物なら私は心から敬服する。ところが往々にしてこうした人物は病気や加齢で十分な働きができなくなった人物に冷淡なのである。

「つまらない仕事」が好きになる日 

 社内ニートを決め込むと、皮肉なことに仕事が面白く感じるという副作用がある。意味不明な上下関係やモンスター上司のプレッシャーから解放されると、日頃の業務は筋トレのように充実感を感じられるものとなる。何気ないダンボールの上げ下ろしですら、妙に人生の楽しさを高めてくれたりもするのだ。

 つまらない仕事に利用されるよりも、利用してしまおう。こんなつまらないことでお金をもらえるなんて、大変素晴らしいことだと意識転換するのだ。職業に貴賤なしである。尊敬されない職業であっても日々世の中を支えている。社内ニートとしてプライドを捨ててしまうと、こうしたエッセンシャルワーカーに対する敬意も高まってくる。

なぜ社内ニートを勧める人が少ないのか

 社内ニートを堂々と奨励する人は少ない。少なくとも会社の同僚には皆無だろう。こうした勝ち組人生を歩める情報は残念ながら会社のような間合いでは聞き出すことができない。それよりもインターネットや友人の方が価値が高い。

 社内ニートを堂々と推奨する人が少ないのは、それが勝ち組になる方法だからだ。他の人がやっていないチャンスに目をつけるのは成功者への第一歩だ。社内ニートは他の人が自分と同じ社内ニートになってしまうと会社が潰れてしまうことが分かっている。だから社内ニートの良さを他人に勧めることはない。それどころか社内ニートを推奨することもあるだろう。

 あなたも「静かな退職」の良さを標榜することは避けるべきだ。それは大変なリスクになるし、あなたのクビを締めることになるだろう。幸せは個人個人で掴んでいこう。

 もし「静かな退職」が進んで日本経済が崩壊したらどうなるか。おそらくそれすらも問題はないだろう。この国は30年に渡って停滞しており、新しい風が必要だった。しかし、保守的な社会はそれを拒み、現在は先進国の立場すら怪しくなっている。潰れたほうがきっと日本は成長するだろう。「静かな退職」は社会への反抗だ。1968年の反抗と違い、今回は遥かに平和的だ。社内ニートに罪悪感を感じる時は「悪いのは社会だしなー」と責任転嫁し、FIREのための資金を貯めよう。

「静かな退職」は「会社のガン」なのか

 昭和の企業戦士のような頭が化石化した人間はきっとあなたを見てこう思うだろう。「お前は会社のガンだ」と。残念ながら社内ニートは会社のガンではない。すくなくとも、礼節を保っている限りはガンにはなり得ない。

 ガンが恐ろしいのは転移と浸潤だ。ガンは勝手に大きくなるばかりか、正常な臓器にどんどん食い込んで破壊していく。血流によってどんどん全身に広がり、人体を食い尽くしていく。ガンとは自分の内部から生まれた病原菌のようなものだ。自分が増殖するために人体を殺していくのである。実際に動物には個体間伝播が見られるガンもある。

 「静かな退職」はガンとは異質だ。転移も浸潤もしないからだ。「静かな退職」をしたあなたは他人の生産性を下げることはない。むしろ応援していく立場だろう。「会社のガン」はパワハラ上司や不正行為を行う役員だ。あなたのような一社員ではない。

 社内ニートは会社にとっては良性腫瘍、もしくはデキモノだろう。放っておいても害は少ないし、自然とできてしまうものだ。こうした存在に目を光らせる上司や同僚はもっと前向きな業務に目を向けよう。

 最近、医学の進歩は新次元に達している。人類を苦しめる老化作用の原因が老化細胞であることが分かってきた。老化細胞は活動を停止しながら人体に残り続ける細胞のことで、周囲に慢性炎症を起こして老年病の原因になるらしい。社内ニートに最も近い存在はこれだろう。

 「静かな退職」が流行している現代日本社会はきっと老化しているのだ。老化した人間はいずれ社会から退出する。会社もそうだ。日本のサラリーマンもいつか業界もろとも社会から消滅するのだろう。「静かな退職」を目指す皆さんは、いずれ滅び去るこの国に存在するつかの間の楽園を楽しもうではないか。

まとめ

 停滞感があふれるこの国でサラリーマンが勝ち組になるには革命的な方法しかない。それは会社に在籍していながら仕事をやめることだ。ある種の反乱とも言えるかもしれない。ただし、サラリーマンが病気にならずに幸福な人生を送るにはこれが最も容易なルートであることも間違いないのだ。

 あなたの人生の価値を決めるのは会社ではないし、同僚でもない。あなたの人生の価値はあなた自身のものだ。人との繋がりは不可欠だが、それは会社で得るよりも別の場所で得たほうが快適だ。自分の人生をいかに生きるか、それは常に現在を生きるもののテーマとなり続けるだろう。

 

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