地下アイドルのライブでアファーマティブ・アクションに怒りを覚えた話

 アファーマティブ・アクション。この言葉はほうぼうで聞かれるようになった。どうにも東工大が女子枠を作ったり、女性優遇の流れは完全な世相らしい。しかし、属性に基づく優遇は属性に基づく差別と同じくらい理不尽になりうる。今回はそういった話である。

 随分前のことになるが、学生時代に筆者は友人に誘われてとある地下アイドルのライブに言ったことがある。筆者は地下アイドルに関しては明るくないのだが、友人が大ファンなので誘われて行ってみたという感じだ。

 ところが、そのライブは立ち見で、あまり見るのに適した場所ではなかった。友人は長身なので問題なかったのだが、筆者はあまり背が高くないので、ほとんど見られなかったわけである。

 しかし、そのライブには女性エリアがあった。身長が低い女性でも見られるようにという配慮だろう。もしかしたら痴漢防止などもあったのかもしれないが、そこは置いておく。女性エリアのお陰で女性はライブをしっかりと見ることができたわけである。

 ところが筆者は男性なので、背が低くても女性エリアを使うことができない。それどころか、男性ばかりになったため、周囲の平均身長が上がり、普段だったら見えるライブがほとんど見えなくなった。完全にアファーマティブアクションのしわ寄せを食らった形である。背の低い男性には救いは無いらしい。当時はものすごく理不尽だと感じていた。

 アファーマティブ・アクションは必ず議論を呼ぶ。特に点数や能力のような客観的な指標が存在するものに起きやすい。優遇されない属性の人間のうち、しわ寄せを喰らう層が理不尽な思いをするわけである。逆差別ではないかと怒る人が出てくる。

 結婚相談所や軍隊のようなジェンダーロールの強い場所であれば、アファーマティブ・アクションは問題になりにくい。男だから我慢しろで終わりだ。ところが大学の入学とかライブの鑑賞は本質的にジェンダーレスのものなので、アファーマティブ・アクションを行うと「ズル」のように感じてしまう。

 こうした不満は差別の解消に繋がるどころか、むしろ不公平感の温床になる可能性がある。圧倒的な強者であれば問題ないのだが、実際はマジョリティにもマイノリティと同じくらい困っている人間はおり、彼らは属性を理由に救いの手が差し伸べられない。

 厄介なのは、こうした措置を推進している人間がしばしば加害者論を展開することだ。例えば貧しい白人は人種差別において加害者側のグループにいるので、過去の罪を恥じて黒人を優遇しなければならない、といった論法だ。この手の道徳論が登場すると、議論は一気に厄介になる。

 幸いにして日本はまだそこまでの論争にはなっていないようである。最近のアファーマティブ・アクションの隆盛はどちらかというと海外の真似という性質が強いからだ。大学の場合は少子化が直撃しているからかもしれない。人口減少で優秀な生徒を取れなくなったので、減少分を女子枠で埋めてしまえというわけだ。

 ライブの時の筆者は完全に割を食った形だが、実際の社会的選抜は複雑極まりない。優遇が許される属性と許されない属性の差別もよくわからない。男性を優遇した東京医大は糾弾され、女性を優遇する東工大は称賛される。両者の道徳的な違いは存在するのだろうか?こういった論争が尽きることはないだろう。

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